覇王ときどき革命

中国・清末民初のお話など

ないのなら、書こうと思った

約20年間をかけて、中国近代史を書いてきた。最初が、中華民国初期(民初)の軍閥史、次が張作霖の評伝、そして、三作目が清末史である。今回は、こうしたテーマをどうやって決めてきたかについて記したい。決めたというより、流れに任せてきたという方が…

歴史のレシピ

※これまでに出した3冊は、いずれもほぼ同じ手順、方法で書いています。 『清朝滅亡』の「はじめに」にこう書いた。 「本書は、そのダイナミックな時代、とくに生身の人間の動きを、基礎的史料のほか、近年出版された史書や論文、報道などの新たな素材から再…

見書必買

2012年に『覇王と革命』を出して以降、拙著を読んでくださった方々から、しばしば同じ質問を受ける。「巻末の参考・引用文献に載っている中国の本はどうやって集めたのか」というものだ。 これについては、単純明快な個人的指針がある。 「見書必買」だ…

未完の革命

袁世凱が弁髪を切ったのは、一説によれば、清朝最後の皇帝・宣統帝溥儀が退位詔書を発表した1912年2月12日の夜だったという。前の月に革命党員に爆弾を投げつけられ、危うく難を逃れて以来、袁は外出を避けて自邸で執務しており、この日も朝廷に出仕…

進撃の逃走

内戦続きの中国近代史を書いていて、かなりの頻度で使う単語は「逃げる」、またはそれに類する動詞である。権力者であれ、軍人であれ、形勢が悪くなると、まあよく逃げる。多くの場合、戦わずして逃げる。その速度はすなわち、勝者側の進撃の速度となる。 『…

三つの棺

清末の主役の一人、光緒帝は、北京から南西に百数十キロ離れた河北省保定市にある清西陵に眠っている。 光緒帝の陵墓・崇陵は、内部まで一般公開されている。石畳の階段を下りると、巨石がアーチ状に組まれた通路から石室にかけた空間の荘厳さに息をのむ。そ…

陽だまりの日々

八カ国連合軍との戦争が終わり、1902年1月、逃亡先の西安から北京に戻ってきた慈禧は、それから数年間、お気に入りの頤和園(いわえん)を中心に、比較的穏やかな日々を過ごす。満洲が主戦場となった日露戦争、革命団体が結集した同盟会の創設など、王…

珍妃殺害異説

1900年8月、八カ国連合軍が北京に進撃、慈禧(西太后)、光緒帝らは、紫禁城を脱出し、黄土高原を通って陝西省・西安に逃げた。西への逃避行は、光緒帝が愛した珍妃を井戸に投げ込んで殺すという陰惨極まりない事件から始まる。 『清朝滅亡』では、第五…

隣にいる拳民

1963年に初版が出た名著『義和団研究』の中に、義和団の乱を、簡潔に表現している言葉を見つけた。 「千古未有的奇変」である。意味は明らかだろう。 この「奇変」は、『清朝滅亡』の第四章で描いた。神々の降臨によって不死身になったとうそぶく拳民(…

プレートがかかる家

北京にいたころ、時折、古くからの住宅街・胡同(フートン)を回り、住民の許しを得て、家屋の外観や中庭などの写真を撮らせてもらっていた。 近代史で登場する人々のゆかりの場所だ。「文化財」として大事に扱われているのは少数で、庶民の住宅になっている…

急潮に立つ巨人

平家物語を愛し、幕末小説を読みふけり、清末史にのめりこんだ自分にとって、山口県下関は「聖地」である。 訪れるたびに、海峡の光景に圧倒される。火の山公園や海峡ゆめタワーからは絶景が見渡せる。海底のトンネルを歩いて対岸の北九州市・門司に渡り、そ…

劉公島の敗将

数年前、中国山東省威海(旧・威海衛)の湾の入り口に浮かぶ劉公島を訪ねた。 1895年2月、アジア最強の艦隊とも言われた清国の北洋艦隊は、この地で全滅した。『清朝滅亡』では、この歴史的な事実をそのまま第一章のタイトルとした。 海抜153メート…

『清朝滅亡』

最近、清末史の本を書き終えた。着手してから六年余りかかった。 タイトルは、『清朝滅亡 戦争・動乱・革命の中国近代史一八九四-一九一二』。近く白水社より刊行される。 日清戦争から宣統帝溥儀の退位までの激動期を記したもので、中華民国初期の軍閥混戦…

月の下、弓を引き、果実を拾う

中国語を日本語に訳すとき、先人たちの名訳に感嘆することが多い。日本語として美しく、格調が高い。中空に輝く月のようだ。 例えば、よく知られる孫文の「革命いまだ成らず」(原文:革命尚未成功)や、毛沢東の「銃口から政権は生まれる」(原文:槍桿子里…

小さなカプセル

中国共産党の第20回大会が閉幕した。中国における個人専制の復活という世界史的な事件に対する感想とは別に、北京に住む知人たちの顔を思い浮かべた。そして祈った。具体的には書かない。歴史にかかわりのある身として言えば、中国の近現代史は当面、仮死…

人を書く理由~記者が書く歴史2

2月末日をもって、37年間勤めてきた新聞社を定年退職し、「記者」の肩書きが外れた。全部丸めて一言で総括すれば、面白い仕事であった。社の内外を問わず、日本人か外国人かを問わず、プライベートか仕事上かを問わず、こんな自分に温かく接して下さった…

敗者の歴史

『覇王と革命』、『張作霖』を読んでいただいた方から、個性的な文章だと言われた。ネットで「講談調」とのご指摘を見つけた時には、ちょっと笑った。残念ながら、講談は聴いたことがない。 もっとも、思い当たる節がないでもない。 学生時代から、『平家物…

記者が書く歴史

歴史の本を書いてから、こんな声をかけられるようになった。 「記者の仕事は忙しいでしょうに、よくそんな時間を取れますね」 そこに興味を持たれる方が、意外に多い。 ただ、自分には、「記者が忙しい」という前提が、ちょっとあてはまらないように思う。 …

苦手な暗記

もう40年も前のこと、東京の某私大入試で世界史を選択した。 試験本番、目の前にある問題の冊子を開いた。 すぐに、「こりゃだめだ」と思った。 設問の一つはこんな感じだった。 「aからdは、オスマン・トルコ(オスマン帝国)の歴代皇帝とその政策につ…

書棚の英雄たち

『覇王と革命』や『張作霖』の巻末に記した参考文献について、「そこまで書く必要があるの?」と聞かれることがある。 そうした場合、迷わず「ある」と答えている。 少なくとも自分にとって、清末から民国初期の軍閥の時代には、疑問の余地のない史実なるも…

業行という人

大学1年の頃、友人に勧められて『北の海』という青春小説を読んで以来、井上靖の作品に数多く接した。 今も自分の心の中にひっそりと座っている作中人物が一人いる。 『天平の甍』に登場する入唐留学僧、業行だ。大唐にある経典を書き写し、そのまま日本に…

走馬灯とプリズム

机上の国語辞典で、「走馬灯」という言葉を引いた。 「回り灯籠と同じ」とある。 幼いころ、お盆の墓参りで見た、赤や青の光が回転している置き提灯を思い出す。昭和40年代の初めごろ、当時の提灯は、まだ、ろうそくの光が主流だったと思う。記憶にある光…

音読みの森

中国に関する文章を書いていて、ひどく悩ましいのは、人名の読み方を示すルビだ。 「李白」などという名前は、本当にありがたい。ほとんどの日本人が、迷わず「りはく」と読む。 では、「光緒帝」はどうか。「こうしょてい」とも、「こうちょてい」とも読め…

「同時代」の罠

歴史を書くとき、同時代の資料ほど頼りになるものはない。同じ時を生きた人々の間近な見聞、場合によっては、当事者の実体験の記録であるため、話が具体的で、実に面白い。文章の巧拙とは別次元の素材の輝きを放ってもいる。 例えば、『覇王と革命』で、19…

蛇足(掲載写真について)

古い記事に、のんびりと写真を付けています。 掲載写真について、少しだけ説明させていただきます。 ▽著作権等の面倒を避けるため、掲載写真は、すべて自分で撮影したものにします(下手なものだけになりますが)。 ▽住宅などの敷地内の写真は、住んでいる方…

光園の詩人

十年ほど前だろうか、『覇王と革命』の取材で来たときには、不動産業者が入居しており、中に入れなかった。 ところが、先日再び訪れると、地元の愛国主義教育基地に変わっており、一般公開されていた。 北京の西南に位置する河北省保定の「光園」、曹錕の旧…

書きたい歴史

混じり気のない史実が客観的法則で束ねられる学術論文には、鉱物のような美しさがある。 事実によって隠された真実をあぶりだすノンフィクションは、人を戦慄させる力を持つ。 小説や詩歌などの文学作品は、魂の喜びをもたらしてくれる。 『覇王と革命』や『…

『覇王と革命』と『張作霖』、電子版になりました

もともと、紙の本が好きだ。視覚も、匂いも、手触りも。厚みによって読んだ量と未読の分を確認する楽しみもある。これは、終生変わらないだろう。 しかし、北京に暮らしているいま、電子書籍がない生活も考えられない。新書ほどの大きさのリーダーには、全四…

「やあ、プルートウ」

小学生のころ、手塚治虫の『鉄腕アトム』が大好きだった。国語の教科書にも、算数のノートにも、教室の黒板にも、家の前の砂浜にも、アトムの顔を描いていた。 数あるお話の中でも、「地上最大のロボット」という回には特に興奮した。ストーリーは、今もはっ…

最も美しい碑

北京の繁華街・王府井の北にある小さな胡同(フートン)で、民家の脇に残る石碑を見せてもらった。人の高さほどもある碑面にびっしりと彫られた古い文章は、自分の語学力では、とても読めない。目で漢字を拾って、お目当ての文字を見つけた。 確かに「法華」…