最近、清末史の本を書き終えた。着手してから六年余りかかった。
タイトルは、『清朝滅亡 戦争・動乱・革命の中国近代史一八九四-一九一二』。近く白水社より刊行される。
日清戦争から宣統帝溥儀の退位までの激動期を記したもので、中華民国初期の軍閥混戦の時代を描いた拙著『覇王と革命』、『張作霖』の前史となる。王朝の終焉という中国史の大断層をはさんで隣り合う二つの時期は、それぞれが壮大なドラマであると同時に、時空を貫いてつながる一本の巨大な河でもある。二十年近く前、『覇王と革命』に取り組み始めたころから、いずれは清末を書きたいと思っていた。
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清末は、震えるほどおもしろい。
伝統と近代、中華と西洋、満と漢といった潮流がぶつかりあう大きな渦の中で、日清戦争、戊戌政変、義和団の乱、辛亥革命など、世界史的な事件が相次いだ。大気に硝煙が満ち、大刀は首をはね続けた。巨艦が、街が、紅蓮の炎に包まれ、皇妃は井戸に投げ込まれた。新旧の思想が火花を散らし、弁髪を切る者と、守る者が戦った。
この時代を描くにあたって、事実関係は、会話文を含め、細部まで資料に基づき、ありのままの人間の軌跡を、できるだけ客観的に、具体的に描くことを心がけた。それによって、歴史に生命を吹き込もうとしただけではない。「腐った清朝を孫文らが革命で倒したが、袁世凱がその成果を横取りした」といったお決まりの革命物語ではほとんど見えなかった王朝崩壊のプロセスを、はっきり浮かび上がらせたいと思った。
用いた資料の主力となったのは、前二作と同様、二〇世紀末から今世紀初めにかけて中国の学術、言論、報道界を席巻した新しい近代史の成果だ。
清史稿や清徳宗実録、同時代人の日記、手記、回想録などの史料も活用した。現代中国語で書かれた史書が、自分にとってはターヘル・アナトミアのごとく難解な古文の解釈を可能にしてくれた。
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『清朝滅亡』巻末に掲げた「参考・引用文献」を、ぜひご覧いただければと思う。
中国近代史を研究されている方々には、そこに並ぶ著者名についての説明はいらないだろう。多くは、言論、学問の自由が厳しく制限される中国にあって、新たな近代史の論考を次々に世に問うた、尊敬すべき歴史家たちだ。世界的に知られた方もいる。彼らこそが、『清朝滅亡』を描き出した主役であり、この本の記述は、彼らの記録でもある。
「参考・引用文献」、そして版元のウエブサイトに掲載される「出典」を記すとき、パソコンのキーをたたく指に、碑文を刻むような感覚があった。
(2023年12月14日)
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