覇王ときどき革命

中国・清末民初のお話など

2024-02-01から1ヶ月間の記事一覧

三つの棺

清末の主役の一人、光緒帝は、北京から南西に百数十キロ離れた河北省保定市にある清西陵に眠っている。 光緒帝の陵墓・崇陵は、内部まで一般公開されている。石畳の階段を下りると、巨石がアーチ状に組まれた通路から石室にかけた空間の荘厳さに息をのむ。そ…

陽だまりの日々

八カ国連合軍との戦争が終わり、1902年1月、逃亡先の西安から北京に戻ってきた慈禧は、それから数年間、お気に入りの頤和園(いわえん)を中心に、比較的穏やかな日々を過ごす。満洲が主戦場となった日露戦争、革命団体が結集した同盟会の創設など、王…

珍妃殺害異説

1900年8月、八カ国連合軍が北京に進撃、慈禧(西太后)、光緒帝らは、紫禁城を脱出し、黄土高原を通って陝西省・西安に逃げた。西への逃避行は、光緒帝が愛した珍妃を井戸に投げ込んで殺すという陰惨極まりない事件から始まる。 『清朝滅亡』では、第五…

隣にいる拳民

1963年に初版が出た名著『義和団研究』の中に、義和団の乱を、簡潔に表現している言葉を見つけた。 「千古未有的奇変」である。意味は明らかだろう。 この「奇変」は、『清朝滅亡』の第四章で描いた。神々の降臨によって不死身になったとうそぶく拳民(…

プレートがかかる家

北京にいたころ、時折、古くからの住宅街・胡同(フートン)を回り、住民の許しを得て、家屋の外観や中庭などの写真を撮らせてもらっていた。 近代史で登場する人々のゆかりの場所だ。「文化財」として大事に扱われているのは少数で、庶民の住宅になっている…