覇王ときどき革命

中国・清末民初のお話など

月の下、弓を引き、果実を拾う





 中国語を日本語に訳すとき、先人たちの名訳に感嘆することが多い。日本語として美しく、格調が高い。中空に輝く月のようだ。

 例えば、よく知られる孫文の「革命いまだ成らず」(原文:革命尚未成功)や、毛沢東の「銃口から政権は生まれる」(原文:槍桿子里面出政権=槍桿子は銃身、銃、里面は~の中、内部といった意味)は、定訳であると言っていい。

 だが、『覇王と革命』でも、『張作霖』でも、そうした見事な訳は拝借せず、 「革命いまだ成功せず」、「鉄砲から政権は生まれる」と記した。不格好な訳の方が、彼らが生きた時代と、彼ら自身から漂う土臭さに合うと思ったからだ。

 弱い勝負師のごとく、無謀な戦いを仕掛け、負け続けた孫文には、達成したか否かを柔らかく分ける和語よりは、「成功」「失敗」というストレートな漢語の方が似つかわしいように思う。また、革命闘争に走り出した軍閥時代の毛沢東には、含蓄のある「銃口」(原文の「里面」のニュアンスまで感じ取れる!)より、農民たちの肩に食い込む重い鉄砲のイメージの方が近いような気がする。

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 先日訪れた鎌倉の円覚寺塔頭(たっちゅう)で、よいものを見せていただいた。

 弓の稽古をする男女が、堂内で作法にのっとって弦を引き絞り、俵のような的に向けて矢を放っていた。厳しい寒気の中で、長い静を一瞬の動が切り裂き、再び静寂に戻る。禅に通じるのだろうか。門外漢には分からない。ただ、その光景を美しいと思った。

 中島敦に『名人伝』という短編がある。弓の名人は、最後には、弓という物体すら忘れてしまう。アイロニー的な解釈を抜きにして言えば、名人の境地というものは、そんなものなのかもしれない。その先には、己の存在さえ忘れてしまう宗教的世界が待っているのだろう。

 自分は名人の境地とは無縁だ。幼いころ、父親に「愚図」と叱られていた。そんな人間が、書籍という一本の矢を世に送り出すには、どうがんばっても最低五年ほどはかかる。その間、美とは程遠い稽古の弓を、何千回、何万回と引いている。

 土臭い訳文も、そんなところから生まれている。

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 「中国近代史で、本になるような題材をよく思いつきますね」

 こう言われることが、ままある。幾多の名人を含む先人たちに書き尽くされたかのように見える分野で、新しい発想をしているように見えるらしい。

 とんでもない。何度も種明かししているように、長く中国にいた自分は、「中国における近年の中国近代史研究」という肥沃な土壌から生まれた成果を大事に使わせていただいているだけのことだ。そこには、自分が本当に知りたかった事象、日本語で読む資料ではほとんど解けなかった疑問に対する解答や見解が、無数の果実のごとく大地に散らばっていた。

 歴史の世界で下手な弓を引き、血眼になって果実を拾う自分は、暗がりを月光で照らしてくれる名人、先人を心から敬愛している。だが、それにとらわれすぎることはない。光の届いていない場所であろうと、何かないかと、這いつくばって手を突っ込んでいる。

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 三十年以上前、先輩の書家に頼んで、「如月花下」という四文字を書いていただいたことがある。好きな西行の歌からとった。若いころに憧れていたイメージとはまるで違う。だが、月の下で、あくせくと動き続ける凡人の生き方も悪くないと思う。

                           (2023年1月29日)

 

 ※写真は、一番上が、孫文の遺体が一時安置された碧雲寺(北京郊外)にあったパネルから。二枚目は、南京の総統府に展示されていた総理遺嘱のパネル。いずれにも「革命尚未成功」の文字が見えます。三枚目は、鉄砲で政権を奪い取った毛沢東の肖像(北京・天安門)。最後は、鎌倉・円覚寺舎利殿。弓の稽古をしていたのは、別のお堂です。写真撮影は遠慮しました。