覇王ときどき革命

中国・清末民初のお話など

業行という人

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 大学1年の頃、友人に勧められて『北の海』という青春小説を読んで以来、井上靖の作品に数多く接した。
 今も自分の心の中にひっそりと座っている作中人物が一人いる。
 『天平の甍』に登場する入唐留学僧、業行だ。大唐にある経典を書き写し、そのまま日本に伝えることに執着した人物として描かれている。
 最先端の仏教理論を学んで研究実績をあげるという、留学僧としての使命を棄てた行為は、無私とは少し違う。諦念という表現も外れているような気がする。
 業行の写経には、圧倒的な経典の前にあって、自分という存在など何だとでもいうような、どこかふてぶてしい確信を感じる。暗所にいる彼の意識は、経巻を紐解くたびに現れる三千世界の光に満たされているようにも思う。
     *     *
 『覇王と革命』や『張作霖』を書こうとしていた頃、中国に出現した新しい近代史に、ただただ圧倒されていた。「腐った清朝孫文らの革命によって倒されたが、袁世凱がその果実を横取りし、人民を顧みない軍閥混戦が続いた」というゴムスタンプによって刷り込まれていた歴史観が、心地よく崩壊していった。
 『覇王と革命』のあとがきにも少し記したが、言論や学問の自由がない中国では、多くの歴史家たちが、自分が真実と信じる歴史を、あるいは自分が書きたい歴史を書くために静かな戦いを続けている。少し言論空間が広がると、様々な手段でそれを発表する。
 中国で社会科学関係の書籍に触れ、政治との関係を考えたことがある方ならお分かりかと思う。権威ある重厚な「学術書」、「学術論文」の類いの多くは、共産党がいかに正しいかを証明するためのプロパガンダにすぎない(中国の研究者の名誉のために補足すれば、素晴らしい業績も、もちろん多い)。党にとって都合のいい事実と、党が事実と強弁する「定説」を組み合わせたものだ。
 一方で、歴史家たちは、市場に向けて、軽い読み物本のような体裁の、より自由な書物も含め、新たな民国史を数多く出した。歴史家に推されて再び日の目を見た復刻版も多い。彼らは、玉石混淆の舞台である市場に、自らの歴史観を堂々と世に問える空間を見いだした。新聞や雑誌でも、歴史家たちは大いに語った。
 目の前に現れた未知の歴史を、素人の自分がどうこう言えるはずがない。ましてや、深い造詣と自由な思考を併せ持つ名だたる専門家たちが、書籍の体裁など関係なく記す新鮮なエピソードや諸説について、自分で史実かどうかなどの検証もできない。

 しかし、その驚きを、その面白さを日本に紹介することはできるかもしれないと思った。紹介したいと思った。
 プライベートの時間のほとんどを資料読み込みに費やす日々に入った。『覇王と革命』を世に出すまでに足かけ九年。すべてが無駄なのではないかという不安が押し寄せる中で、時に、座って写経する業行の背中をぼんやりと思い浮かべた。
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 自由な近代史本や関連報道は、市場で大いに支持され、「民国ブーム」と呼ばれる現象が起こった。
 「本当の民国史は、我々が知っているものとは違うのではないか」
 「民国は、実は今よりはるかに自由で、非常に可能性に富んだ時代だったのではないか」
 これまでの近代史を構成してきた「史実」や「定説」といったうさんくさいものに対する、そうした問いかけも広まっていった。
 実際に何が史実なのかは、例によって分からない。確かなのは、ここ数年、当局は市場の民国史を危険視し、本屋の書棚から、あの一見頼りなげな書籍群が徐々に消えていったことだ。
 中国に現出した新しい近代史のごく一部を、ひたすら乱雑に詰め込んだ『覇王と革命』『張作霖』には、現代中国の学術界、出版界に一時期流れた自由な空気も入り込んでいると思う。
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 数年前の夏、鹿児島県・薩摩半島の南部に位置する秋目浦を訪ねた。
 透明な海が輝く箱庭のような入り江だ。はるか天平の昔、鑑真和上が想像を絶する苦難の果てに、この浜の土を踏んだ。
 そこには無論、小説の中の「業行」なる人物はいない。ただ、まぶしい光の中で、相変わらず写経に没頭している留学僧の背中を懐かしく思い出した。

                           (2019年10月5日)

 ※写真は、薩摩半島・秋目浦の風景です。