覇王ときどき革命

中国・清末民初のお話など

彼らの物語

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 「覇王と革命」を読んでいただいた方から、登場人物の性格付けについて聞かれたことがある。
 ちょっと困ってしまった。
 群雄の物語を書いたつもりでいる。しかし、歴史小説を書くかのように、一人ひとりの性格を、こちらで何かの型にはめたことはない。史書や報道、史料に残されている彼らの動き、言葉の軌跡を細かくたどっていっただけのことだ。それでいつの間にか、性格らしきものがにじんできていた。
 以来、同じような質問には、こう答えることにしている。
 「みんな、それぞれ何かを持っていたんだと思います」
 そうなのだ。一人ひとりが、実に豊かな個性と能力を持ち、清末から民国初期の大激動の歴史に躍り出してきた強者なのだ。筆の小細工など必要なかった。
 例えば--
 常人ではありえないような孫文の言動は、一般的な印象など気にせずに記した。「常識人に王朝は倒せない」と書いたのは、革命家への最高の賛辞のつもりだ。
 袁世凱は、中国近代化の父だと思う。しかも、大王朝を静かに倒すという離れ業をやってのけた。その袁が皇帝になろうとし、落ちていく。なんと人間的か。
 「北洋の虎」・段祺瑞の真価はむしろ、失意の時に見えるような気がする。その行動が、哀しく、美しい。腹心・徐樹錚は、鮮烈に生き、死んだ。
 「常勝将軍」と呼ばれた呉佩孚は、最前線で兵とともに炎のごとく戦った。だが、一人の人間としては、孤独だった。
 東北王・張作霖の懐の深さはどうだ。草莽から出て、中華民国の大元帥に至ったその歩みを、印象のままに「堂々たる人生」と書いた。
 手段を選ばず勝つ側に回る馮玉祥には、幼少時代の原体験が投影されているのではないか。彼はまさに「時代の子」であった。
 「南」の雄たちも、すごい。広州を追われた敗者・孫文のもとに駆けつけた蒋介石、「中華合衆国」の夢を抱いた陳炯明、義盗から身を起こして戦乱の世を駆け抜けた陸栄廷、強敵を冷静に倒し続けた李宗仁らが、大きな星座群のごとく、南天に連なっている。
 こうして書いてみると、彼ら、そして彼らが生きた時代のスケールの大きさが改めて分かる。日本を含む世界もまた、ダイナミックに動いていた。
 中国の同じ時代には、もう一つの物語が存在する。というよりも、そちらが完全に主流であり、正史として扱われている。特定の史実と宣伝を織り交ぜ、共産党政権の正統性を描く革命史の物語である。正邪、善悪、敵味方をはっきり分類しており、上述の群雄たちは、孫文ら一部を除いて、邪・悪・敵側の定位置、かび臭い暗所に放り込まれている。
 しかし、現実の彼らは違う。三国志の時代のごとく、沸き立つ大地で、戦った。逃げた。死んだ。個性豊かな勝負師たちは、民、そして中国という国家の命運がかかったルーレット盤を激しく回し続けた。
 回転は果てしなく続くかに見えたが、運命の小さな球は、やがて迷うようにふらつき、1949年、コトリ、と止まった。そこにいたのは、かつて小軍閥のように江西に割拠していた毛沢東だった。歴史は連続している。
 中国では近年、軍閥混戦時代の情報が、どんどん社会に出てくるようになった。その時期、10数年間にわたって北京に滞在できたのは、幸運だったと思っている。初めて知る武人たちの時代は、衝撃的なほど新鮮だった。彼らの姿を小さな物語にするとき、自分で作れるものなど何もなかった。 (2013年7月28日)

◆読んでくださった皆様へ

 「覇王ときどき革命」は、一身上の都合により、今回で、とりあえず中締めとさせていただきます。突然のことで、まことに申し訳ございません。
 これから、ちょっと深い海に潜ってきます。とはいえ、書き残したことはまだまだ多く、ときどき、獲ってきた貝をそっと置くように、こっそり更新させていただくことがあるかもしれません。
 読んでいただいた方には、心から感謝申し上げます。正直にいえば、「覇王と革命」も、「覇王ときどき革命」も、「ほとんど知られていない人物がぞろぞろ出てくる歴史ものを読んでくれる方が、本当にいるんだろうか」という不安の中で書いていました。
 ネット等で、温かい励ましや、身に余るおほめの言葉をいただきました。「面白い」のツイート一発にどれだけ勇気づけられたことか。厳しいご指摘とあわせ、大きな力をいただきました。ありがとうございました。
 最後に、海の底のヒトデのようなブログに、明るい生息場所を与えてくださった白水社のA氏、K氏に、心からの御礼を申し上げます。  杉山祐之