覇王ときどき革命

中国・清末民初のお話など

苦手な暗記

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 もう40年も前のこと、東京の某私大入試で世界史を選択した。
 試験本番、目の前にある問題の冊子を開いた。
 すぐに、「こりゃだめだ」と思った。
 設問の一つはこんな感じだった。
 「aからdは、オスマン・トルコ(オスマン帝国)の歴代皇帝とその政策について記している。誤っているものを一つ選び、記号で記せ」

 聞いたこともない名前がいくつもある。
 オスマン帝国ファンには申し訳ないが、答えは一つしかなかった。
 「知るかよ」だ。
       *     *
 『覇王と革命』について、こんなことを言われ、ちょっとあわてた。
 「よくあれだけ覚えてられますね」
 「いやいやいやいや」と「いや」を四つも重ねて、笑いながら正直に答えた。
 「書いたこと、ほとんど覚えちゃいません」
 実際、受験勉強的知識は、悲しくなるほど定着していない。高校生の時分から今に至るまで、こんな呪文を頭の中で繰り返してきた。
 「調べればすぐ分かるものを覚えてもしょうがないさ」
 負け惜しみである。「ナクヨうぐいす平安京」だの、「イイクニつくろう鎌倉幕府」だのを覚える暗記は、苦痛で仕方がなかった。そんな心構えで、知識が増えるはずがない。今も基本的にそれは変わらない。科挙に落第し続け、頭にきて教科書やノート、出来損ないの課題作品を全部焼き捨てた袁世凱には、結構親近感を持っている。

 そんな自分が、曲がりなりにも歴史を書いているのは、ひとえにパソコンのおかげだ。

 『覇王と革命』でも『張作霖』でも、膨大な資料を何年もかけて読み込む作業が不可欠だった。今手がけている次の歴史本もそうだ。いずれも、自作のメモだけで、A4用紙数千枚になる。容量の小さい頭に定着しなくても、心強い戦友は、誤字も含め、一字一句違えずに正確に覚えてくれている。
       *     *
 念のために言えば、知識量を軽視しているわけではない。
 圧倒的な「知」の背景には、多くの場合、膨大な知識が存在しているように思う。
 また、膨大な知識の背景には、間違いなく、「好き」がある。この純粋で、活動的で、執拗な心の動きは、日本文化を担ってきた匠の心にも通じる。
 より身近なところで言えば、語ることがすぐに尽きる自分は、アニメであれ、野球であれ、天文学であれ、借り物ではない言葉によって一つのことを語り続けられる人を尊敬する。彼らの話は、ほぼ例外なく、知性と愛情、そして、すさまじい量の知識に裏打ちされている。

 心から彼らをうらやましく思う。
       *     *
 ネットでこんな問いかけを見つけて笑ったことがある。
 「北洋の三傑とは誰のこと?」
 ほぼ100%近い人にとって、「知るかよ」に違いない。オスマン帝国の歴代皇帝の事業以上かもしれない。今風に言えば、「不要不急」未満だろうか。
 断言してもいい。
 北洋の三傑を知らずとも、実生活には関係ないと。いや、おそらく、大学入試にさえ関係がない。
 ただ、自分としては、「しかし、その三人が生きた時代は、たまらなく面白い」と付け加えてみたい気持ちもある。               (2020年9月13日)

 

 ※写真は、科挙の時代、俊英が集った北京・国子監の牌坊です。

 ※今月出た月刊中央公論に、李登輝・元台湾総統の追悼文を書かせていただきました。いま、不意に、『銀河英雄伝説』のあの言葉が思い浮かびました。

 「銀河の歴史がまた一ページ……」