覇王ときどき革命

中国・清末民初のお話など

記者が書く歴史

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 歴史の本を書いてから、こんな声をかけられるようになった。
 「記者の仕事は忙しいでしょうに、よくそんな時間を取れますね」
 そこに興味を持たれる方が、意外に多い。
 ただ、自分には、「記者が忙しい」という前提が、ちょっとあてはまらないように思う。
 暇とは言わない。締め切りに追われてばたばたと動き、大事件が発生すれば、睡眠不足の日々が続く。だが、そんなことは、どんな仕事でも同じだろう。
 実家は小さな雑貨店だった。小学生の頃、同級生に「店はよかねえ。座っちょって金がもうかる」と言われた。彼は、ものの売り買いをする一瞬だけで、店というものを判断していた。無理もない。よその子供には、そこしか見えないのだから。その瞬間に到るまでの恐るべき手間も、不安も、彼は知らない。身体の倍もあるかのような布包みを背負って仕入れから帰ってくる我が母の姿も知らない。
 当時の両親と比べても、今の自分が忙しいなどとはとても言えない。
 「時間を取る」の方は、限られた予算の配分に似ている。幸か不幸か、下戸の自分は、仕事の会食を除いて、飲食に長い時間をかけることはほとんどない。付き合い麻雀もプラモ作りもとっくの昔にやめた。深夜は基本的に歴史の時間になる。通勤や休憩時間も歴史にあてる。休日は歴史漬けだ。歴史に本格的に取り組み始めて約二十年間、このスタイルは基本的に変わらず、今では、仕事と歴史の二正面の切り替えに何の問題もない。
     *     *
 時間といえば、北京で暮らしていた数年前に知り合った若い日本人歴史研究者の方々を思い出す。
 中国史の研究者として、中国に身を置き、中国語の文献にあたり、中国人学者と交流することは、当然なのかもしれない。だが、将来の保証は一切ない中での異国での研究だ。心身の負担は恐るべきものだろう。彼らは、見えない血を流しながら、若い日々の時間を削っているように見えた。無責任な言い方をすれば、それは、まぶしくもあった。
 彼らの時間と、「やりくり」した自分の時間は、同じようで違う。同時に、違うようで同じでもある。
     *     *
 日本では、歴史本を書くのは、学者か小説家がほとんどというイメージがあるかもしれない。自分自身、優れた研究成果を刻む石板のような学術書、豊かな想像力によって過去に新たな命を吹き込む歴史小説のどちらも好きだ。
 海外では、記者が歴史を書いているケースが実に多い。生存者インタビューや政府公開文書などに基づくジャーナリスティックな現代史だけではない。その範囲は、およそ関係者が生存しているとは思えない古代にまで及ぶ。
 なぜなのか、分かる気がする。
 日々起こった事実を記している記者は、時代の記録者という性格を持っている。その眼で過去を俯瞰すると、驚くほど生々しい。必然と偶然が絡まり合いながら、ひとときも休まずに流れる因果の時空間で、未来を知らぬ人々が動いている。
 研究成果といったものを意識することはない。登場人物の名前や性格に頭を悩ますこともない。ただ、そこに見える潮流、時代の物語を、記録するかのごとく書きたいと思う。
 上に「仕事と歴史の二正面」と書いたが、それはあくまでも時間配分のことだ。記者としての目と、自分の書く歴史は、間違いなく不可分の関係にある。
 「記者が書く歴史」について記しているが、それはたまたま、自分が記者であるためだ。実際のところ、誰が書こうが、歴史は面白い。いま仕事で滞在している台湾には、日本の近代史研究で素晴らしい仕事をしておられるビジネスマンがいる。医師や自然科学者らの眼がとらえる歴史も、きっと魅力的だろう。年齢、性別、職業など関係ない。歴史は皆に開かれている。
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 台湾は、1日、「中華民国110年」の新年を迎えた。1912年の中華民国成立を起点とした暦が、今も普通に使われている。
 清朝末期から中華民国初期について調べ、書いてきた自分にとって、この暦は、歴史と現在が融合している象徴のようにも感じられる。感慨深く、どこか懐かしい響きさえ持っている。                       (2021年1月3日)

 

※写真は、台北の公園に残る日本統治時代の鳥居です。