『覇王と革命』や『張作霖』の巻末に記した参考文献について、「そこまで書く必要があるの?」と聞かれることがある。
そうした場合、迷わず「ある」と答えている。
少なくとも自分にとって、清末から民国初期の軍閥の時代には、疑問の余地のない史実なるものがほとんどない。参考文献なくして自分は一行も書くことはできない。そうである以上、資料名を明示するしかないのだ。
時に帰国することがあると、狭い自室に釣り合わないほど大きなスライド本棚を埋める資料群を飽かず眺める。空間的な制約から、大量の書籍、資料を何度も処分してきたが、その悲しき選抜を逃れてきたつわものたちだ。
本の背表紙に、二種類の英雄の名前が見える。
一つは、袁世凱や張作霖ら、歴史上の人物である。
もう一つは、彼らの人生を調べ上げ、それを記録した歴史家や記者たちの名だ。その中には、個人的に、歴史に対する貴重な見解を授けてくださった方もいる。
「ここまで書いて大丈夫ですか」
国家が定めた「定説、史実」とは明らかに異なる記述について、ぶしつけに聞くと、生身の英雄たちは、静かに、優しく笑っていた。
心情から言っても、彼らの業績である資料名を伏せる選択などありえない。
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商売柄、染みついた習慣というものもある。
自分が長くいる報道の世界では、文章の盗用は、一発レッドカードだ。記述に根拠を持たせることは、ある意味で、日頃の仕事の延長でもある。
また、新聞社に入って一年目に、こんなことを先輩に言われた。
「いいか。おまえは何も知らない。知ったかぶりをするな。とことん人に聞け。とことん調べろ」
怖い先輩だった。だが、とても感謝している。年を重ねて、歴史にまで手を出すようになった今も、彼の言葉は心の中で生きている。
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と、偉そうに書いているが、実は、『覇王と革命』で、引用元として入れるかどうか、大いに迷ったものがあった。
「ウィキペディア」だ。
文章に携わる者として、この一語を参考文献に記すことがもたらすリスクは分かっている。しかし、最終的に、入れると決めた。
一か所、ウィキの詳細な記述が大いに参考になった部分があった。様々な資料にあたってみたものの、その範囲で、匹敵するものは見当たらなかった。
結局、『覇王と革命』には、他の出版物にも記されていた部分のみを書いた。こうした場合、ウィキの名を参考文献に入れなければならないということはないだろう。ただ、どなたかが、自分にとって非常に有用な情報を、ウィキという場を通じて提供してくださったのは事実だ。リスクうんぬんという自己保身的な発想こそがさもしい。そう思い至った時、迷いが消えた。
誰もが知っているように、ウィキは玉石混交である。うのみにできない情報があふれている一方で、名を名乗らぬ無数の英雄たちが素晴らしい仕事をしているのも確かだ。彼らに敬意を払わない理由はない。
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参考文献を細かく記す理由は、もう一つある。
自分の書いた拙い文章は、逆に、参考資料群、つまり、中国に登場した新しい近代史への扉にもなりうるのではないか、とも思っている。 (2020年6月13日)
※写真は、自室の書棚です