机上の国語辞典で、「走馬灯」という言葉を引いた。
「回り灯籠と同じ」とある。
幼いころ、お盆の墓参りで見た、赤や青の光が回転している置き提灯を思い出す。昭和40年代の初めごろ、当時の提灯は、まだ、ろうそくの光が主流だったと思う。記憶にある光は、ぼんやりしていていながら、とても鮮やかだ。
この言葉が気になったのは、年号が改まったためではない。自分の住む場所が変わったからだ。
3年半ほど暮らした北京を離れ、いま、台北にいる。
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台湾の近代史は、「走馬灯のように」という比喩が思い浮かぶほど、めまぐるしい。
日本でいえば、江戸時代の初期にあたる17世紀前半、オランダに支配された。
その後、中国大陸で清が明朝を倒すと、日本人を母親に持ち、『国性爺合戦』で有名な鄭成功が、明再興を目指す戦いの中で台湾に移り、オランダ勢力を追い出す。
しかし、鄭政権もやがて崩壊し、清朝が台湾領有を宣言する。
1894年に日清戦争が勃発、翌年の下関条約で、台湾は日本に割譲された。日本時代は、世界を敵に回した日本が崩壊し、連合国に無条件降伏した1945年まで50年間続く。
戦後、大陸では、蒋介石率いる国民党と毛沢東の共産党による内戦が激化、敗れた国民党が台湾に逃れ、独裁体制を敷いた。
民主化が実現したのは、わずか20数年前のことで、自分自身、折に触れてその過程を目にしてきた。
台湾が歩んできた近代は、目まぐるしいだけではない。一幕一幕が、あまりに激しい。
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日本時代の建築物や家屋は、台北中心部にある総統府をはじめ、いたるところに残っている。日本語の「おじさん」や「運ちゃん」などは、今も話し言葉として使われるという。
無論、『覇王と革命』や『張作霖』で登場した人々の足跡も多い。蒋介石のための巨大な記念堂は、いかにも大陸的な造りだ。
孫文の肖像画は何度か目にした。ある人物が、その肖像の前で、「革命いまだ成功せず」の総理遺嘱を読み上げる場面に居合わせたこともあった。臨終を前にした孫文と、遺嘱の草稿を書いた汪兆銘の会話を思い出しながら、朗読を聞いていた。
台湾に残る張学良の幽閉場所は、そのうち訪ねようと思っている。
一つひとつの歴史の記憶の断片が、瞬時にして、鮮やかに色を変える。それはむしろ、理科室の優しい陽光の下に置かれたプリズムが生み出す現象に近いような気がする。
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台湾でも、歴史を書く作業は続けている。ここは、その生々しい舞台でもある。
夜、雨に濡れた台北の街を歩くと、色とりどりの光がにじみ、なにやらうまそうな匂いが漂っている。たくさんの人々が、繁体漢字の看板の下を笑顔で歩いている。
「灯」という字が似合う街だ。 (2019年5月12日)
※写真は、台北の夕方の街角です。