覇王ときどき革命

中国・清末民初のお話など

小さなカプセル


 中国共産党の第20回大会が閉幕した。中国における個人専制の復活という世界史的な事件に対する感想とは別に、北京に住む知人たちの顔を思い浮かべた。そして祈った。具体的には書かない。歴史にかかわりのある身として言えば、中国の近現代史は当面、仮死状態になるしかないと思った。

 心に浮かんだままの稚拙な表現である。言論や学問の自由が保障されている日本で、「歴史が仮死状態になる」と言っても、理解されないだろう。

 一党独裁、あるいは個人専制下にあって、歴史は、党や個人の権威、正統性を宣伝し、理論付けするための物語としての役割を担う。党、領袖の「指導」は、東西南北春夏秋冬ばかりか、現在過去未来にまで及ぶ。そこは、何が史実かなどほとんど関係ない世界である。今の中国では、習近平共産党総書記が、歴史について一つの見解を示せば、それが「史実」になり、不可侵の解釈となる。学問的に確かな百の史料を揃えても、習氏の一言の前には沈黙を余儀なくされるのだ。もし事実をもとに異論を唱えればどうなるか。その者は、声を上げた代償としてたちまち政治的な圧力にさらされ、場合によっては職も、家族も失うだろう。

 成虫になったセミたちに、もう一度幼虫に戻って地中に隠れてほしい。自然現象としてはありえない空想的な願いさえ脳裏をよぎる。何が史実かを正確に伝えようとする人々が消えると、歴史は表面的には死んだようになり、領袖にとって耳障りのいい嘘や宣伝ばかりがあふれるだろう。それでもいい。安全地帯にいる自分が、いま、中国の歴史家たちに言いたいのは一つだ。間違っても、勇敢に鳴くな、と。

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 「中華民族の偉大なる復興」を掲げる習近平氏が思い描く中国近現代史は、帝国主義や日本軍国主義といったおぞましい外敵、腐敗した清朝軍閥政権、国民党などの内なる敵によって絶滅寸前に追い込まれた「中華民族」が、それでも抵抗を続け、やがて共産党、とりわけ毛沢東の指導によって立ち上がったという勧善懲悪の物語である。

 今後、そのラインに沿わない説や論が公表されることはなくなっていくだろう。もちろん、習氏自身が歴史記述の細かいところまで監視しているわけではない。無数の組織が習氏の意向を忖度し、(例えば誰かの告発、密告によって)習氏が問題に気づく前に、リスクの芽を摘み取っていくのだ。近年まで百花繚乱の春を謳歌していた歴史の地は、たちまち砂漠と化すに違いない。

 砂漠化の速度は速い。近現代史の調べもの等で、日ごろから中国のウェブサイトを利用しているが、言論や学問への縛りが比較的緩やかだった1990年代以降の関連記事等がごっそり消されている。膨大な情報が瞬時に消えてしまった跡の電子空間の闇が見える。恐ろしいと思う。

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 何年か前、日本好きの中国の知人たちが、同じようなことを言っていた。

 「京都や奈良を訪れると、懐かしさを感じる」

 王朝交替の際に大規模な破壊と殺戮が繰り返されてきた中国で失われたものが、日本に残っている感覚があるという。大中華の思想からくる傲慢な言葉ではない。そこには、母国の破壊の歴史に対する哀しみ、そして、自分たちがかつて花開かせた文化のエキスを日本人が閉じ込めてくれておいたことへの感嘆の意と、さりげない謝意が込められていたように思う。

 このブログでも先に書いたように、『覇王と革命』、『張作霖』には、現代中国の学術界、出版界に一時期流れた自由な空気が入り込んでいる。いま執筆中の歴史本もそうだ。取るに足らない小さなものであるにせよ、それが、多少なりともカプセルの役割を果たしてくれればと願う。

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 上に、中国の近現代史が仮死状態になると書いた。復活に対する希望と確信があるからこそ、仮死だと思っている。            (2022年10月31日)

 

 ※写真は、京都・竜安寺の石庭です。