覇王ときどき革命

中国・清末民初のお話など

蔡鍔出奔(しゅっぽん)--脱兎のごとく

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 史書を読んでいると、時に、何かの音が聞こえてくることがある。
 1915年12月、昭威将軍・蔡鍔(さいがく)が、西南の辺境に位置する雲南から、北京の皇帝・袁世凱に反旗を翻した。帝制取り消しを求め、雲南独立を宣言したのである。遠雷が聞こえたような気がした。
 軍閥混戦という群雄の時代にあって、ひときわ大きな光芒を放ち、忽ち消えた蔡鍔。得体の知れない新王朝を一太刀で倒した疾走は、独立宣言の前月、蔡が逃げるように北京を離れ、師・梁啓超が待つ天津に向かった時から始まる。
 鮮やかな結末につながった将軍遁走は、その後、多くの伝説を生んだ。
 おおかたの筋書きは、蔡鍔を、蔡が愛した芸妓・小鳳仙(しょうほうせん)が助けるというものだ。悪役は袁世凱である。英雄と美女と魔王。虎口脱出譚の登場人物として、これ以上の設定は、なかなかない。
 「覇王と革命」では、小鳳仙自身が語ったとされ、最もよく知られる遊郭からの脱出劇を紹介した。蔡鍔の行動を四六時中監視していた密偵たちを、英雄と美人が共同で欺く小気味よさがいい。蔡が去った後の小鳳仙のすまし顔が目に浮かぶ。
 蔡鍔と小鳳仙が中央公園でお茶を飲み、蔡が厠に行くと言い残して消えたという話もある。この説によると、蔡は、袁世凱がいる中南海の目と鼻の先の同級生宅で女装したことになっている。二人一緒に天津行き列車に乗ったと記す史書もある。
 蔡と小鳳仙が二人で観劇に行ったというバージョンでは、消えた蔡の行方を密偵に問い詰められた時に小鳳仙が切ったたんかが、実に面白い。
 「あんたたち、何も分かっちゃいないね。蔡鍔さんに別のお贔屓ができたってことじゃないか」
 徹夜でカードをやった蔡鍔がそのまま出勤、密偵が安心したころ、人力車夫に変装して駅に向かったというものもある。美女が登場しない分、英雄譚としてはしっくりこない。偽計の線も細い。
 現実には、結核を患っていた蔡鍔は、袁世凱から天津での療養許可を取っていた。ただ駐華日本公使が「脱兎のごとく北京を去れり」と本国に報告した蔡の脱出は、実際にも緊迫したものだったに違いない。
 もともと雲南の軍政長官だった蔡鍔の力量を最もよく知っていたのは、ほかならぬ袁世凱だった。蔡を北京に呼び寄せたのも、袁だ。袁は側近にこう語っていたという。
 「蔡鍔の剽悍なること、黄興や諸民党をはるかにしのぎ、あるいは宋教仁もまた、これに及ばないであろう」
 蔡鍔の北京脱出を聞き、袁世凱帝制推進の中心となった君主立憲の志士・楊度が、「虎を山に帰し、魚を海に放したようなものだ。これから、中国に平穏な日々はないだろう」と語ったとも伝えられている。
 雲南独立を宣言した蔡鍔は、「護国軍」を率いて四川に進攻、圧倒的な戦力を持つ北洋の大軍と激闘を繰り広げる。結核の身を削りながらの奮戦は、南の覇王を動かした。雲南に接し、強兵を擁する広西の陸栄廷(りくえいてい)が独立を宣言したのだ。
 今度は、国が割れる音を聞いた。 (2013年1月12日)

 ※参考資料:袁世凱真相、武夫当国、蔡鍔、瑰異総統袁世凱、北洋乱、袁世凱全伝、梁啓超伝、洪憲帝制、細説北洋袁世凱、歴史深処的誤会、日本外交文書

 ※写真は、上が、北京・護国寺界隈の蔡鍔旧居、2枚目が小鳳仙がいたとされる陝西巷の遊郭跡、3枚目は蔡鍔とゆかりの深い雲南陸軍講武堂(昆明)、最下段は蔡鍔の双眼鏡(現在は北京国家博物館で展示)