覇王ときどき革命

中国・清末民初のお話など

革命のシャワー

 手元に中国の高校歴史教科書(人民教育出版社)がある。かの国の高校生たちは、自国の軍閥の時代をどのように習っているのだろう。
 「覇王と革命」で取り上げた期間は、A4版教科書の3課計8頁にまたがっており、まずは、「第13課 辛亥革命(1911年)」のおしまいあたりで、袁世凱が登場する。
 「辛亥革命勃発後、清朝は、北洋軍閥の親玉である袁世凱内閣総理大臣に任命し、軍政を仕切らせ、危機を乗り切ろうとした。……孫中山孫文)は妥協を迫られ、清帝が退位し、袁世凱が共和に賛成するなら、袁世凱を臨時大総統に推すと表明した。……辛亥革命の勝利の果実は、袁世凱の手中に落ちた」
 「親玉」は、記述通りの表現だ。「ボス」と訳してもいい。要は、教科書を支配する共産党が、悪党の頭という語感を持つ言葉(中国語原文では「頭子」)を袁世凱に与えたということだ。この課は最後で、辛亥革命そのものについて、封建君主専制を終わらせ、帝国主義の侵略勢力に打撃を与えたなどと絶賛している。
  次の第14課のタイトルは、「立ち上がる新民主主義革命」。また革命だ。
  リードの部分で、段祺瑞政権が連合国の一員として第一次大戦に参戦したことに触れた後、本文に入る。小見だしは、「五四風雷」である。
 え? いきなり五四運動(1919年)? どこでもドアでわらわらと現れたような愛国学生たちが街頭に繰り出して、日本の対華二十一か条要求の撤廃やら、曹汝霖ら3人の売国奴の処罰やらを叫んでいる。
 今度は、「売国奴」という極めて主観的かつ侮蔑的なことばが、地の文で堂々と使用されている。共産党政権が「3人は売国奴」と判決を下せば、それはもはや「歴史的事実」なのだ。
 五四運動に続くのは、「中国共産党誕生」。陳独秀、李大釗(りたいしょう)、毛沢東らの顔写真や、1921年に上海で開かれた第一回党全国代表大会の出席者名簿が添えられ、「共産党が出てきてから、中国革命の様相は一新する」と、革命が新段階に入ったことを強調している。
 第14章最後の小見出しは、「国共合作と北伐戦争」。
 「1926年、国民政府は、帝国主義が支持する北洋軍閥の呉佩孚、孫伝芳、張作霖という三勢力を消滅させる北伐を決定した。北伐軍は破竹の勢いで、呉佩孚、孫伝芳の主力をたちまち殲滅した」
 ああ、ここにいたんだ、と思う間もなく、北の覇王たちの記述は、これで尽きた。
 南の雄・蒋介石に対しては、悪意に満ちた表現が並ぶ。
 「国内外の反動勢力の支持の下、蒋介石は1927年4月12日、上海で反革命政変を発動し、共産党員と革命群衆を思うがままに捕らえ、殺した」
 国共合作が崩壊したところで、第15課「国共10年の対峙」に入る。
 最初の小見だし「南昌蜂起」は、人民解放軍の出発点とされている共産党軍の武装蜂起だ。次の「土地革命」では、毛沢東が江西の井岡山に革命根拠地を築いている。
 軍閥の時代に関する記述は、ここで終わる。
 「覇王と革命」どころではない。シャワーのごとく、「正義の革命」「革命の正義」が連呼される。それはもはや歴史とは言えない。プロパガンダ、あるいは洗脳と呼ぶべき性質のものだろう。
 「必修」
 高校生たちが手にする教科書の表紙には、目立つ黒い文字で、そう書かれている。(2013年2月24日)

※参考資料:歴史1(2007年1月第3版、2011年5月第13次印刷)