覇王ときどき革命

中国・清末民初のお話など

赤蛇と竜と蝦蟇(がま)

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 「覇王と革命」で、1915年の冬の夜、袁世凱の居館、中南海の居仁堂に大きな赤蛇が現れたという言い伝えを紹介した。赤蛇は、袁にお辞儀して消えたという。
 ある方に「ほんまかいな」と聞かれた。苦笑するしかない。が、もちろん、「ほんま」と言えることもある。それは、「天」がまだ実在していたこの時代、新たな天子の登場には、超自然的な啓示が必要だったということだ。
 蛇よりさらに、直接的な啓示がある。
 竜だ。竜の出現こそ、新たな皇帝出現の予兆だった。史書「洪憲帝制」の一節を引こう。
 「竜は天の化身であり、いったん竜が出現したら、それは、旧王朝が信任を失い、天が統治権を新たな天子に授けるということを意味していた。王朝が交替するのである」
 いくつかの史書によると、この年の10月には、長江上流の湖北省宜昌で、巨大な竜骨(恐竜の化石)が発見された。土地の役人は「まさに、大皇帝の国のめでたきしるしである」と騒いだ。北京の歓心を買おうとする下心もあっただろう。とはいえ、こうして社会的事件として歴史書に記載されているところを見ると、竜骨発見が、帝制の予兆として広く受け止められたのも、恐らく間違いない。
 竜について、「覇王と革命」では、童子の玉杯の話を取り上げた。昼寝中の袁世凱に目覚めの茶を持って行った童子が、誤って朝鮮国王下賜の玉杯を割ってしまった。童子はひれ伏して、懸命に弁解した。寝台で寝ていたのは金の竜でございました、びっくりして玉杯を落としてしまいました……。
 伝承には、さまざまなバリエーションがあり、「朝鮮国王」が「西太后」に、「童子」が「女の使用人」になったりしている。そんなことはどうでもいいのである。「竜の出現」こそが伝承の核心なのだ。
 この話は、帝制に反対した馮国璋が、袁世凱の死後に広めたとされる。馮は「項城(袁世凱)ははじめは皇帝になるなんて考えはなかった。ところが、彼こそが竜の転生であると童子が証明してしまったため、福運があると信じた」と語っていたという。
 馮国璋の言葉は示唆に富む。歴史を見るにあたって、天や神や物の怪といった存在は、無視できない。それどころか、時に、当時の人物の心理や行動における決定的な要因となる。袁世凱だけでなく、袁の死後に勃興した張作霖や呉佩孚といった覇王たちも、占いやお告げに頼り、神に額ずいていた。こうした行動を、唯物史観的な、あるいは純粋に科学的な立場から「迷信」と断じてしまうと、歴史の真実は見えなくなる。超常現象を侮ってはならない。
 中国で最も多く竜が群れる場は、皇帝の居城たる紫禁城故宮)である。袁世凱は、洪憲皇帝即位の大典をここでやろうと考えていた。しかし、雲南から起こった反乱の火を消すことができぬまま、それは夢で終わった。
 袁世凱が天に召された時、寝台の下から大きな蝦蟇(がま)が飛び出し、どこかに消えたという話がある。そこには、竜はもちろん、赤蛇さえいない。(2013年1月1日)
 
※参考資料:洪憲帝制、武夫当国壱、荒誕史景、袁氏当国、皖軍

※写真は、故宮の九龍壁です