覇王ときどき革命

中国・清末民初のお話など

「黒船」を書く

 1月11日付読売新聞の書評欄で、佐藤賢一氏の新書『歴史小説のウソ』を取り上げた近現代史研究者・辻田真佐憲氏の文章を読んだ。以下、一部を抜粋する。

 「……著者は、(歴史小説家、歴史学者以外の=ブログ筆者注)第三の区分として歴史家を打ち出す。歴史家とは、過去と現在を比較しながら、人間にとっていかなる時代が望ましいのかといった文明論的な考察を、主観的に引き受ける存在だとされる。ただし、この区分は排他的ではない。学者や小説家が歴史家となることもあれば、一般のひとびとでも、史観を語ることで歴史家となることができる。

 本書の魅力は、この『歴史の解放』にある……」

 思わずうなずいた。

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 現役の記者だった14年前、『覇王と革命』を出した。驚いたのは、ネット上で、「これは学術書? それとも小説?」といった感想をいくつも目にしたことだ。国際線で機内食を配る客室乗務員の「ビーフ? オア チキン?」のように、二者択一のジャンル分けを求めている。

 欧米では、記者が「学術書」でも「小説」でもない歴史書を書くのは、珍しくない。中国でもそうだ。正直なところ、人や文章が、肩書で分類、価値判断されがちな日本社会の不自由さを感じた。

 このブログでもたびたび書いてきたように、中国共産党による歴史支配を北京で目の当たりにしてきた自分は、実感として、歴史は自由であるべきだと思っている。歴史は、権力者や学界の権威、人気作家らの所有物ではなく、皆に開かれていなければならないのだ。

 だから、「歴史の解放」に賛同する。

 もっとも、自分は、「文明論的考察を引き受けるような歴史家」ではない。あえて言えば、生身の人間たちが紡いだ歴史を、できるだけ事実に近い形で再現してみたいと思う一人のライターである。

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 尊敬する学者は多い。特に、プロパガンダ言論統制でがんじがらめになっている中国の言論界、史学界で、可能な限り歴史の「真実」を伝えようとしている人々には、強く心を揺さぶられた。

 中には残念な学者もいた。

 20年以上前、北京のあるジャーナリストが、戦後日本の歩みを客観的にとらえることの重要性を説く論文を発表した。「反日」が正義とされる社会に一石を投じた論文は、日中双方で大反響を呼んだ。賛同と批判が渦巻く中で、日本専門家の一部から、こんな声が出た。

 「中日関係史や中日関係の専門家ではない人物の一意見に過ぎない」

 この場合、研究機関や大学におけるポスト、学位は、何の関係もなかろう。彼らの傲慢な論評の裏には、部外者が自分の「専門分野」に侵入してきたことへの不快感や拒絶反応、もっと言えば、嫉妬や恐れといった感情さえあるようにも感じた。

 排他的姿勢ほど、学術から遠いものはない。

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 20世紀末から21世紀初めにかけて、言論統制の縛りがやや緩んだ中国に新たな近代史が出現した。独裁政権の正統性を支えることを目的とした従来の革命史観とは一線を画し、ほとんど知られていなかった事実や斬新な分析を満載した書籍、文章が続々と発表された。その時の驚きと資料群が自分の歴史執筆を全面的に支えていることは、拙著とこのブログで繰り返し述べてきた。

 少しオーバーな言い方を許していただければ、自分は「黒船」を見たのだと思う。それほど衝撃的だった。善玉悪玉がはっきりした革命史観など木っ端微塵に吹き飛ばされた。当時、日本国内でも革命史観に基づく記述が主流で、新しい中国近代史はほとんど伝わっていなかったと思う。これは泰平の世にあった「日本の『中国近代史』」をも揺さぶるのではないかと感じた。

 歴史学者でも、小説家でもない、ただの歴史好きができることは、幕末のかわら版の書き手のように、黒船の姿を写生し、伝えることだけだった。

 それもまた歴史に参入する一つの形だろう。歴史は、そんなライターでも決して拒みはしない。                        (2026年2月10日)

 

 ※写真は、1枚目が中国山東省威海・劉公島にある甲午戦争(日清戦争)博物館の遠景です。ペリー来航が日本の歴史を動かしたように、日清戦争も中国の歴史を動かしました。2枚目は神奈川県横須賀市浦賀港。3、4枚目は同市久里浜のペリー上陸記念碑とペリー記念館です。