覇王ときどき革命

中国・清末民初のお話など

「同時代」の罠

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 歴史を書くとき、同時代の資料ほど頼りになるものはない。同じ時を生きた人々の間近な見聞、場合によっては、当事者の実体験の記録であるため、話が具体的で、実に面白い。文章の巧拙とは別次元の素材の輝きを放ってもいる。
 例えば、『覇王と革命』で、1917年の宣統帝復辟に際し、中国に滞在していた西原亀三が蔵相に送った電文を紹介した。
 「張勲は幼帝を擁して孤立せんとす」
 この凝縮された簡潔な一文が、どれだけ多くのことを語っているか。
 当時は、現在進行中の政変に関する現況報告だった。それから百年がたっても、清朝再興の失敗という歴史的事件を生々しく思い起こさせてくれる。
 一方で、同時代の資料ほど危ないものはない、とも思う。
 多くの資料に、記録した者、記録させた者の意図が隠されているのだ。政敵をおとしめ、陥れようとする。自分や自分の属する組織、自国の行動を正当化し、美化したいと思う。権力を恐れ、権力に迎合する。上司の意に沿おうとする。証拠を隠滅し、密かに虚偽を混ぜる。「同時代資料」とは、無数の記録の堆積物の層を造り出す砂や岩石のようなものなのかもしれない。そこには間違いなく、当事者たちが同時代ゆえに丹念にまぶした大量の嘘が存在し、人間の弱ささえ映し出す。後世から歴史を眺める者にとっては、同時代資料の罠と言ってもいいかもしれない。
 その時々の政治的な状況も、決定的な意味を持つ。プロパカンダが絡むと、同時代の記録であれ、事実認定は二の次になる。過去のプロパガンダ資料をうのみにして歴史を書いてしまうと、プロパガンダの再生産に終わる。
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 同時代の資料を集めて、孫文の評伝を書くとしよう。資料の選び方、使い方次第で、彼は偉大な国父にもなれば、頑迷で専制的な大ぼら吹きにもなる。袁世凱蒋介石らも異なる人物像を作れるだろう。毛沢東にいたっては、中国国内では、民族の救世主として讃えられる一方、海外では何千万人を死に追いやった魔王として描かれている。
 資料を残した者一人ひとりの思いが違っていた以上、当然だ。これは、無論、中国だけの現象ではない。
 張作霖に関する日本側の資料を調べているとき、気づいたことがある。
 戦前、戦中のほぼ同じ時代の文章、記録と言っていいにもかかわらず、張作霖の生前に書かれたものと、日本の軍人が爆殺した後に書かれたものとで、記述が大きく変わっていた。
 大雑把に言えば、生前は、好悪の違いはあれ、満洲に出現した風雲児、大軍閥として正面からとらえる記述が多かった。『張作霖』では、作霖を「虎」にたとえるジャーナリスト・徳富蘇峰らの評を紹介した。
 ところが、「満洲某重大事件」後は、殺されて当然と言わんばかりの印象を与える匪賊の親玉扱いが目立った。当時の日本には、都合のいい記述だったに違いない。
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 20年ほど前の話だ。
 太平洋戦争後、連合国が日本軍のBC級戦犯を裁いた裁判に関する外交文書を読み込んだことがある。ダンボール箱いっぱいに入った「同時代資料」を来る日も来る日もめくった。南方の裁判で有罪になりながら、なんとか日本に戻ってこられた方々にお会いして、話もうかがった。
 国家を動かす者たちは無謀な戦争を始め、彼らを地獄の戦場に送り込み、国破れても己の責任を認めなかった。命令は絶対だ、という組織の中で、彼らに戦争犯罪行為を命じた上官の多くは、死ぬか、黙るか、逃げた。人道の名の下に彼らを裁く連合軍は、裁判官という以上に、復讐心に燃える勝者だった。捕虜虐待などで戦犯とされた孤独な兵士たちは、「命令に従っただけであります」と訴え続けた。
 BC級戦犯の件をここで取り上げたのは、関連文書が真実を語っていないと言うためではない。そもそも、自分には、真偽の検証などできない。
 同時代文書とは、立場によって「真実」が変わる羅生門のごときものでもあるかもしれない。ふと、そんな考えが頭をよぎっただけのことだ。

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 以上、歴史学の厳しい研鑽など積んだことのない、素人の戯れ言である。         (2018年9月22日)

 

※写真は、国家博物館から見た天安門です。