覇王ときどき革命

中国・清末民初のお話など

書きたい歴史

 混じり気のない史実が客観的法則で束ねられる学術論文には、鉱物のような美しさがある。
 事実によって隠された真実をあぶりだすノンフィクションは、人を戦慄させる力を持つ。
 小説や詩歌などの文学作品は、魂の喜びをもたらしてくれる。
 『覇王と革命』や『張作霖』は、そのいずれのジャンルにも属していない。
 近いのは、ノンフィクションだろうか。
 事実関係については、「根拠ある記述」を自分に課した。例えば、音。ドアを強く閉めてガラス戸が振動した、というような小さな記述も、いくつかの資料をもとにしている。迫撃砲弾が空気を切り裂いて落ちるといった表現は、四半世紀以上前、内戦中のアジア某国で取材中に頭上から降ってきた迫撃砲弾の音から記した。根拠縛りの自己ルールを甘くすれば、同じような部品でできている文章全体が崩壊する。
 ただ、このブログも含めて繰り返し白状しているように、可能な限り資料に基づいているとはいえ、そこから抽出した材料が事実かどうか判定する目利きの力が自分にはないのだ。無知からくる痛恨の失敗もあった。これではやはり、ノンフィクションを名乗る資格はないと思う。
 地雷はいたるところにある。最もよく知られる「張作霖」の写真は、別人説が有力だ。その写真の怪しさが分かるのは、たまたま張作霖の資料に数多く接したからで、見逃しているものは数限りないだろう。
 公文書や手記の記述を、無邪気に事実、史実として書く図太さもない。公、私の記録に、嘘と虚飾と宣伝が混じらないはずがないと思っている(中国の資料だけでなく、日本の外交文書などにも、そりゃないだろうと突っ込みたくなる記述によくぶつかる)。
 調べごとをする人間が落ちやすい罠もある。
 自分が調べた資料、持つ資料、あるいは、「見つけた」資料は、正しいと思いたい。また、自分の仮説や願望に沿った資料は、「やっぱりそうなんだよ!」とあっさり信じ、用いがちだ。危ないこと、この上ない。だから異説にもあたる。結論は出ず、迷いだけが深まる。最後は、確からしさで判断だ。
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 学術界に身を置く知人が、「歴史研究の世界は、たこつぼの世界」と話していた。専門分野がごく狭い範囲に限られることに対する、半ば自虐的な比喩だが、心からの尊敬の念をもって、その言葉を聞いた。
 どんな小さなことでもあっても、何か一つの史実を確定させるには、時に一生という時間単位が必要になる。自分で歴史の世界に足を踏み入れてみて、それが初めて分かった。まれに見る鉱物的な美しさを持つ学術的文章は、だれにも見られない地中での果てしない努力が生み出すものだと思う。そう、ラピュタの飛行石の結晶を探すおじいさんのような。一つの時代を丸ごと描きたいと考える素人の自分には、その覚悟も、執念も、誠実さもない。
 目利きの力が自分にはない、と上に書いた。矛盾するようだが、この複雑な時代全般について、何が史実かそうでないかを判定できる人がいるとしたら、中国人であれ、日本人であれ、神のごとき存在だと思う。
 歴史小説は好きだ。ただ、自分の興味は、実在の人物の、実際の軌跡に向かう。
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 「自分は物語を書きたい」と勝手に思っている。
 もちろん、お話を創りたいという意味ではない。生きた人々が描き出した歴史のドラマを、普通の言葉で、できる限り事実に近く再現したいということだ。
 日本では、例えば、戦国時代や幕末に関する物語は、無数にある。老若男女が、史実や言い伝え、諸説の中から「事実」を抜き出して、語りたい歴史、語るべき歴史を大切に抱きしめている。中国史であっても、項羽と劉邦の天下争い、三国志などは、日本人に愛されてきた物語だ。人によっては、毛沢東の中国革命もそうかもしれない。
 しかし、自分が強く惹かれた時代や人に、そんな物語はなかった。
 物語を書くとは、記憶をまとめて一つの形にするような作業のように思える。あるいは逆に、実際に生きた人の言動を通じて、時代に息吹を吹き込み、人々がその時代を記憶しやすくする作業であるような気もする。
 いや、そんなものは結局、後付けの理屈に過ぎない。
 『覇王と革命』にしろ、『張作霖』にしろ、実際のところは、自分が書きたいような形で歴史を書いたというだけだ。要は、そんな作業が好きなのだ。
 今も、いつ形になるか分からない次の物語のため、資料の海で格闘を続けている。 (2017年12月10日)