覇王ときどき革命

中国・軍閥の時代のお話など

「やあ、プルートウ」

 小学生のころ、手塚治虫の『鉄腕アトム』が大好きだった。国語の教科書にも、算数のノートにも、教室の黒板にも、家の前の砂浜にも、アトムの顔を描いていた。
 数あるお話の中でも、「地上最大のロボット」という回には特に興奮した。ストーリーは、今もはっきり覚えている。
 最強のロボットの持ち主になりたいという人間の野望を叶えるため、側頭部に2本の角を持つ大ロボット「プルートウ」が、世界各国の強力ロボットたちを次々に破壊していく。戦いの果てに待っていたものは、やはり戦いだった。圧倒的なパワーを持つ巨大ロボット「ボラ-」が眼前に現れる。プルートウは角を水平にして突進するが、ボラ-は手刀一撃でそれをへし折る……。
 若い世代なら、浦沢直樹氏のリメイク版「PLUTO」の方になじみがあるかもしれない。
 
 『張作霖』で、北伐の段を書いているとき、ふと、プルートウを思い出した。「やあ、プルートウ」と声をかけたくなるほど、唐突に彼は現れた。
 南から押し寄せてくる蒋介石の北伐軍。その圧倒的な戦力は、まさにボラ-だった。勝敗は見えていた。だが、張作霖は、劣勢の戦力を二手に分けて決戦を挑んだ。蒋が右腕を振り下ろすと、作霖の角は、もろくも折れた。
 大爆発によって死すという点も同じだ。もっと言えば、そうした最期に向けて戦い続けた生の軌跡そのものが似通っていた。プルートウはそれを操る人間の意思で、張作霖は自分の意思で戦っていたという違いはあるが。
 「地上最大のロボット」では、プルートウが倒すべきロボットたちの顔が一枚の紙に描かれ、戦いのたびに、その顔が一つずつ消されていく。誰も彼も、愛すべきロボットたちだった。モンブラン、ノース2号、ゲジヒト、エプシロン……
 張作霖の歩んだ道を振り返っても、作霖が相まみえたいくつもの個性が、歴史の天河に輝いている。近代の波に乗れないままに討伐された大匪賊・杜立三、モンゴルの草原を守るために挙兵したトクトホ、清朝滅亡の前月に暗殺された革命家・張榕、民国を動かした安徽派の天才軍師・徐樹錚、中国大陸を疾走した軍神・呉佩孚、作霖に反旗を翻した奉天最強の将軍・郭松齢……。

 人間の営みの記録である歴史には、敗者、あるいは滅亡の美といったものが確かに存在する。人々は古来、そうした物語を愛し、語り継いできた。『張作霖』でも『覇王別姫』に触れたが、四面楚歌の中で虞姫をかき抱く項羽は、中国史を彩る絵画的記憶となっている。五丈原に向かう諸葛亮もそうだろう。日本で言えば、平家物語の荘厳な滅びは、他に例がない。
 張作霖の物語も、その流れに連なるものだという気がする。少なくとも、自ら戦い抜いて力尽きた作霖は、安全地帯で謀略に熱中し、他人に死を強要し、敗れた後は他の誰かに責任を押しつけるような、醜い敗者として描かれる人物ではないだろう。

 張作霖プルートウの間には、もう一つ、大事な共通点がある。彼らは、戦い抜いたばかりではない。その心の奥深くには、「軍閥」、「ロボット」という無機質な単語には含まれていない、優しさがあった。 (2017年4月29日)