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覇王ときどき革命

中国・軍閥の時代のお話など

DF李純

 静かな敗者がいる。
 名を「李純」という。直隷系の首領・馮国璋の腹心で、代理大総統に就任する馮が南京を離れる際、江蘇軍政長官を引き継いだ。
 1917~18年の湖南戦争では、南進して全国を統一しようとする段祺瑞の安徽軍を阻止しようとした。広東・広西を束ねる南軍の首領・陸栄廷は、馮国璋の事実上の同盟者であり、李純は、南を守ることで馮を守ろうとした。
 当時、江蘇、江西、湖北の長江ラインに陣取る直隷系3軍政長官は、「長江三督(督軍=軍政長官の意)」と呼ばれ、サッカーでいえば、3バックのごときディフェンスラインを形成、李純はディフェンダー(DF)の要であった。
 「戦争をやめよ」「和平を実現せよ」
 硝煙渦巻く中で、李純は、何度も声明を出す。長江の南京対岸・浦口を馮玉祥軍に占拠させ、安徽軍の兵站を支える鉄道線をストップさせる奇策にも出た。
 「李純李純! この裏切り者め」
 激高した安徽系主戦派の集団が叫ぶ。彼らは大総統・馮国璋ではなく、その部下である李純を責め続けた。
 やがて、同じ直隷系だった曹錕は安徽系に接近、南軍も馮国璋の意に反して北上攻撃を敢行、奉天張作霖も安徽系と結んだ。孤立した馮国璋は18年、大総統を辞任し、翌年死去する。結局、李純は、己の首領を守り切れなかった。
 馮国璋が消えた時点で、もはや李純の居場所はない。安徽系、奉天系、そして自分ではない直隷系による三つどもえの争いを傍観するしかなかった。1920年7月、曹錕・呉佩孚が段祺瑞の安徽軍を撃破、天下に片手をかけた。南京の李純には、「長江巡閲使」という有名無実のポストが与えられた。かつて馮国璋の後継者と言われた李純の足は、ここで完全にとまった。
 中国のニュースサイトによると、李純と親しかった祖父を持つという人物が、李純についてこう話している。
 「特に称賛されるようなことはしていない。だが、人々を特に傷つけるような悪事も働いていない」
 なんと悲しいジャッジだろう。
 「あなたは普通の人だった」と言われたに等しい。英雄も悪党も躍動した軍閥の時代の大軍人にとって、おそらく、これほど残酷な採点はない。
 長江巡閲使になってひと月もたたない20年10月12日午前4時45分、南京督軍署の李純の自室で銃声が響いた。駆け上がった夫人が叫びを上げた。蒼白な顔をした李純の左胸を銃弾が貫通し、そばにピストルがあった。
 李純は精神に変調を来していたと言われる。夫人の情事絡みの他殺説もあるが、直筆の遺書5通が残され、そこには「病魔の苦しさは言葉にできない」とあった。どこまでも弱い一人の人間が、ここにいる。平凡なディフェンダーは、自らピッチを去ったのだと思う。
 その李純に似合うのは、派手なフォワードや華麗なミッドフィルダーに対するような満場の喝采ではない。健闘空しく倒れた凡人への静かな共感を伴った背中からのまばらな拍手だろう。 (2013年3月24日)

※参考資料:武夫当国、総統府史話、細説北洋馮国璋、直軍、百年家族段祺瑞、天津網

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