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覇王ときどき革命

中国・軍閥の時代のお話など

妄想のレッドクリフ

 細い雨の中である。短い坂道を傘をさして登り、その小さな丘から四周を見回すと、緑の木立と古い住宅が交じりあう街の光景があった。
 ほんとにここか?
 そう思えてくる。だが、記念公園の正門の錠を開けてもらって入ったのだから間違いない。目の前には、国民革命軍(北伐軍)第4軍将兵の慰霊碑が立っている。村の集会所くらいの規模だが、戦闘経過の記録を残す記念館もある。
 湖北省の汀泗橋(ていしきょう)。1926年、南から押し迫ってくる北伐軍と、武漢を守るためにここに布陣した呉佩孚軍が激闘を繰り広げた土地だ。
 多くの史書に書いてあった。三方が水に囲まれ、正面に高地がそびえる、と。地図を見ると、三国志で有名な赤壁に近い。事前に思い描いていた汀泗橋は、水上要塞のごとくであった。かつてベトナムで見たハンバーガーヒル(ベトナム戦争中、米兵の生命をすりつぶした難攻不落の丘)と同じように、巨大な容積を持つ高地が、血で膨れた蛭のごとく脳裏に横たわっていた。
 ところが、着いたら、これだ。雨に煙るいなか町だ。「要塞」を浮かべていたはずの水面もない。近くに小川はある。
 「ああ、治水やったからね、昔のような水はないよ」
 公園の門を開いた管理人さんが、にっこり笑って教えてくれた。
 中国の史書に潜むくせ者は、プロパガンダだけではない。「白髪三千丈」という妖怪もどきの超古豪もいる。「百聞は一見にしかず」は、この強敵に対処するための呪文である。もっとも、今回の場合、記述が三千丈というわけではなく、白髪が増えた自分の頭の中にある妄想が、三千丈に育っていた。愚かだった。
 まあ、救いもある。「覇王と革命」で、映画「レッドクリフ赤壁)」のごとき情景の汀泗橋を描かなかったのは、幸いだった。
 軍閥史を書くにあたって、できるだけ現場を見たい、と思っていた。より正確な記述をするためである。歴史の空気を実感できることも多い。
 天津と奉天の間に位置し、濼河(らんが)が流れる直隷・灤州(現河北省灤県)は、軍閥の時代、何度も大事件の舞台となった。1924年の第二次直隷・奉天戦争では、奉天軍がここを奪って勝敗が決した。一年後、奉天軍の最精鋭を率いる郭松齢が、張作霖に反旗を翻し、挙兵したのもここだ。
 灤河のほとりに立った。現役の大鉄橋のわきに、橋部分を失った昔の鉄橋がある。その写真を撮っていたら、3人の武装警察官が近寄ってきて、デジカメの画像を見せてほしいと言う。それを確認した警官の一人が、無線でどこかに連絡した。「撮っているのは、昔の橋の方です……はい……はい」といった会話が終わると、彼らはそのまま立ち去っていった。
 きっとどこからか監視されていたのだろう。現役の橋の構造などを入念に撮っていたら、政権が警戒する破壊活動に関する疑いを抱かれ、撮影目的を細かく聞かれていたと思う。
 なるほど。灤州は、昔も今も要衝なのだ。それが分かった。 (2013年3月17日)

 

※参考資料:呉佩孚伝、北洋政府簡史、蒋介石大伝など