覇王ときどき革命

中国・清末民初のお話など

歴史に残る1票

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  日本が関東大震災に襲われた1923年9月、北京では、直隷系軍閥の総帥・曹錕(そうこん)と、国会議員たちが、大総統ポストを巡って熱い駆け引きを続けていた。曹側は議員に金を配り、見返りに議員は曹を大総統に選ぶ。その条件のすり合わせである。
 天津の布売りから身を起こした曹錕の好物は、カネと女と肉である。それを隠すでもなく、「みんな、好きだろ?」と笑えるような天真の魅力が、この善人にはある。風呂敷包みでも持たせるかのように、すべての軍権を部下の呉佩孚に委ね、天を切り裂くかのごとき呉の戦闘力に乗って軍閥の時代を勝ち上がってきた。ただ、呉と離れた時の曹は、まるで凡庸だ。還暦を過ぎていた曹は、早く大総統になりたいと願い、正直に、カネに頼った。
 史書の曹錕評が面白い。
  「曹錕はケチで知られていた。家の財産は豊かだったが、こうしたカネは、別の人に払わせた」
 中国の史書では、「覇王と革命」で取り上げた多くの軍人は概ね「人民の敵」といった描き方をされている。だが、曹錕へのこの批判は、しみったれていて、人間臭い。実際、賄賂の金は直隷省長の王承斌らに作らせたとされる。
 曹錕は、もうしくじれないと思っていただろう。5年前の副総統選挙で議員1人に2000元を用意したが、「曹錕が芸者を10万元で身請けした」との情報が流れ、「妾一人で議員50人分」という失笑とともに、選挙も流れた。
 大総統選の協議では、最終的に、曹錕側が議員側に対して投票前に小切手を渡し、選挙後に議員たちが換金することで、約束の履行を互いに担保することにした。小切手の額面は、基本的に一人五千元だった。
 10月5日、衆院議員441人、参院議員152人の計593人が登院し、午後2時から4時まで大総統選の投票が行われた。
 投票総数590票のうち、曹錕は480票を獲得して文句なく当選した。第2位は33票を得た孫文、第3位は20票の雲南・唐継尭だった。この時の国会は、一時解散されていた旧国会を復活させたもので、国民党、南方系勢力のシンパが比較的多い。段祺瑞は7票、呉佩孚が5票、陳炯明、陸栄廷が各2票、張作霖も1票取っている。
 無効票の中に、議事記録にも、記憶にも残った出色の1票がある。総統名記入欄には、「五千元」とあった。諧謔一発、議場は笑いに包まれただろう。
 この大総統選挙は、「曹錕賄選(賄賂選挙)」と称されている。とんでもない選挙ではある。しかし、その印象は、意外に明るい。 (2013年3月3日)
 
 ※参考資料:北洋政府簡史、武夫当国、細説北洋曹錕、大国的迷失、人民網(環球網より)

 ※写真は、民国時代の北京地図(部分)です。地図の下部、宣武門近くに衆議院(众议院)、参議院(参议院)があります。衆議院は現在、国営新華社通信ホールになっています。地図の右側には中南海(中海、南海)があり、総統府(总统府)、国務院(国务院)の字が見えます。