覇王ときどき革命

中国・清末民初のお話など

表紙の中の軍神

f:id:kaitaronouta:20180303000630j:plain

f:id:kaitaronouta:20180303000649j:plain

f:id:kaitaronouta:20180303000712j:plain

 アメリカのニュース週刊誌「タイム(TIME)」といえば、まずその鮮やかな表紙が思い浮かぶ。赤い額にはめ込まれたような肖像は、アメリカ、世界で注目を集める渦中の人物のものだ。
 1923年に創刊されたタイムの表紙に中国人が初めて登場したのは、翌1924年の9月8日号だ。
 丸刈りの軍人で、頬はややこけている。耳まで、戦闘向きではないかと思わせるほど鋭い造形をしている。何より印象的なのは、大きな眼だ。
 写真の下には、二行の説明がある。
 「GENERAL WU」(呉将軍)
 「Biggest man in China」(中国最強の男)
 軍閥混戦の中国にあって、「常勝将軍」の名を轟かせた呉佩孚(ごはいふ)である。「覇王と革命」にも、呉の表紙写真は収められている。
 この写真を撮った当時、「最強の男」という称号は、まさに彼のためにあった。袁世凱の帝制に反旗を翻した雲南・蔡鍔軍と真っ向から組み合い、宣統帝溥儀を担いだ辮髪軍を一蹴した。南方軍を打ち砕き、中国初の近代的師団を擁した安徽軍を蹂躙し、東北王・張作霖率いる奉天軍の挑戦も退けた。
 だが、表紙の写真は、どこか生彩を欠いているように見える。その大きな眼は、確かに印象的ではあるが、同時代の記者に「神が宿る瞳」と形容された光をたたえてはいない。
 この号が発売される時、呉佩孚は、張作霖奉天軍と再びまみえようとしていた(だからこそ「タイム」は、呉を取り上げたのだろう)。呉は、自らの運命を予感していたのかもしれない。奉天軍は、以前戦った時とは比較にならぬほど近代化され、潤沢な資金があった。ところが、自ら率いる直隷軍は四分五裂の状態で、戦費もなかった。
 タイムが発売されて二か月もたたぬうち、呉佩孚軍は壊滅した。「中国最強の男」は、その後、もう一度立ち上がるが、南から来る北伐軍に蹴散らされ、北からは奉天軍に圧迫されて、歴史の表舞台から消えていった。
 メディアは残酷だ。呉佩孚は二度とタイムの表紙に登場することはなく、次は北伐軍の勝者たち、蒋介石、馮玉祥、閻錫山らが、続々と表紙を飾った。1934年には、満州国皇帝となった溥儀も表紙になっている。
 勝者はさらに移ろい、タイムの表紙に、やがて、共産党毛沢東が登場する。改革・開放以来、米国の事実上の同盟者となった鄧小平は、タイムの常連となり、78年と85年の二回にわたって、タイムの「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれている。(2013年2月17日)

※参考資料:人民網、鳳凰網、網易網(中国経済網より)

※写真上は、第一次直隷奉天戦争で呉佩孚が奉天軍を殲滅した長辛店の街、中は、湖北支援戦争で上陸作戦を行った岳陽(岳州)の洞庭湖畔、下は北京郊外にある呉佩孚の墓