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覇王ときどき革命

中国・軍閥の時代のお話など

「仇討ち女」

 「覇王と革命」では、覇王たちが歴史から退場していくさまを折に触れて紹介した。五省連合軍総司令だった孫伝芳は、1935年11月13日午後3時15分、天津の在家仏教徒が集まる居士林で読経中に射殺された。
 刺客は、30歳の女。名を「施剣翹(せけんぎょう)」という。10年前に、孫伝芳との戦に敗れて惨殺され、辱められた父親の仇討ちだった。
 写真の施剣翹は、すっきりした目鼻立ちをしている。まっすぐにレンズに向けられた両眼が、意思の強さを示しているかのようだ。孫伝芳の温かい骸を前にした施剣翹は、肝魂をつぶした周囲に、危害は加えないと叫んだ。
 この時、懐から紙を取り出した。この時代に文字を書ける女性はそう多くはなかっただろう。たどたどしさが残る文字で、こう書かれていた。
 「先生方ご注意ください。一、本日、施剣翹(本名は谷蘭)は孫伝芳を殺しました。これは、亡父・施従濱の仇討ちです。二、詳しい事情については、私の『国人に告げる書』をお読みください。三、仇討ちはすでに果たしましたので、すぐに裁判所に自首いたします。四、仏堂を汚し、皆様を驚かせてしまいました。居士林および皆様に対し、心よりお詫び申し上げます」
 すさまじい署名が脇にある。「仇討ち女 施剣翹」。拇印もあった。
 紙にある「国人に告げる書」には、父への思慕と孫伝芳への激しい憎悪を書き連ねていた。
 中国の報道系サイトは、やはり、彼女の並はずれた復讐心を巡るエピソードを紹介している。嫁らの証言では、施は、復讐をともに誓ってくれた軍人に嫁いだ。二人の男児をもうけたが、夫が復讐に消極的になると、たちまち夫との一切の関係を断ったという。
 法廷では、暗殺に使ったブローニング拳銃は、弟の同級生から買ったものだと話し、軍人家庭で育ち拳銃の使いかたは幼いころから知っていたと証言した。
 判決は懲役10年。だが、一人の女が軍閥時代の巨魁を斃した復讐劇は大きな話題となり、特赦を求める嘆願書が殺到、11か月の服役後、釈放された。馮玉祥が影響力を行使したとも言われる。
 その特殊な過去から、釈放後も何かと目立った。日中戦争時には、宣伝臭がある武勇伝も伝わっている。共産党とも良好な関係を保っていたが、政治的な嫌疑をかけられた息子を救うために、毛沢東に手紙を書いたこともある。周恩来夫妻に目をかけられ、後に、北京市政治協商会議委員のポストを得た。
 復讐の記憶を残して施剣翹が世を去ったのは、1979年。改革・開放に乗り出した中国はこの年、米国との関係を正常化している。日本では、「江夏の21球」の年だ。 (2013年2月2日)


 ※参考資料:細説北洋孫伝芳、人民網、中国青年網(現代快報より転載)、中国日報網(羊城晩報より)、大成網(成都日報より)

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