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覇王ときどき革命

中国・軍閥の時代のお話など

紫禁城爆撃

 中国の歴史は、地層のごとく分厚い。軍閥の時代、数千年続いた王朝の余熱は大地に生々しく残っており、乱世に生きる民の多くが新しい天子の出現を待っていた。「皇帝」がいつ復活してもおかしくなかった。
 「覇王と革命」では、二度の皇帝復活劇を取り上げた。袁世凱の洪憲皇帝就位の動き(1915~16)と、辮髪将軍・張勲が中心となった宣統帝溥儀の復辟(ふくへき)(1917)である。一つめは、清朝を倒した軍人の新王朝樹立の物語であり、二つめは、倒された清朝の廃帝復活だ。どちらも、共和護持の旗を掲げる勢力との戦争を引き起こした。
 袁世凱の「中華帝国」が失敗した後、宣統帝の復位で再生した「大清帝国」の巨体も、本格的に一歩を踏み出す寸前までいった。その地響きが大陸に轟けば、おそらく、「皇帝の御代」は再生されたのではないかと思う。女も子供もそれを歓迎し、北京の街には、清朝のシンボルである龍旗が翻った。だが、「北洋の虎」・段祺瑞が挙兵、張勲の辮髪軍を破り、巨人を再び眠りにつかせた。
 その時の戦争で、鮮烈な印象を残す戦いがある。復辟宣言から5日後の7月6日、段祺瑞軍(討逆軍)の飛行機が行った紫禁城(故宮)爆撃だ。軍閥混戦期の戦闘には、機関銃や迫撃砲、装甲車や戦車といった20世紀の近代兵器が「三国志」の世界に入り込んだような、独特のミスマッチ感がある。その最たるものが、この爆撃だろう。数千年にわたる中国の内戦史上、初めて落とされた爆弾は、なんと、皇帝の居城に命中したのだ。
 史書を読むと、絵巻物を眺めているような気分になる。記述にはばらつきがあるものの、三発の爆弾が、宮中にパニックをもたらした点では、ほぼ一致している。大臣たちの多くは煙のごとく消え失せ、賭博に興じていた宦官たちは肝をつぶし、女はテーブルの下に潜り込み、辮髪をぶら下げた兵隊は走り回って逃げた。一人の籠かきが運悪く命を落とし、犬も1匹死んだ、との記述も一部にあった。
 ある史書によると、溥儀は後に、「宮中に討逆軍の飛行機が爆弾を落とし、局面は完全に変わった」と回想したという。他の史書も「復辟勢力を絶望の淵に陥れた」など、爆撃が与えた心理的衝撃に言及している。中国の皇帝の時代にとどめを刺したのは第一次大戦で登場したばかりの航空兵器だった、という説も成り立つかもしれない。清朝は、そこで体温を失って本物の過去となり、爆弾が吹き上げた土煙がまじった「共和」という新たな表土が、中国史の地層を覆った。
 中国大陸に再び「皇帝」が登場するのは、17年後のことである。紫禁城爆撃当時、宮中深くの養心殿に逃れ、間もなく二度目の帝位を降りた宣統帝溥儀は、1934年3月1日、「満州国皇帝」として、生涯三度目の帝位に就いた。 (2013年1月26日)

※参考資料:北洋政府簡史、皖軍、細説北洋段祺瑞、最後的紫禁城、大参考民国時期戦争、武夫当国、人民政協報

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