覇王ときどき革命

中国・清末民初のお話など

はじめに

 最近、白水社から「覇王と革命」という本を出した。1915年から1928年までの中国、軍閥混戦と呼ばれる時代の歴史を書いた。これまで、「悪者」の一言で片付けられ、十把ひとからげに「軍閥」と呼ばれてきた人々が主役となった20世紀初頭の十数年は、実に、群雄の時代であった。
 
 知人らに直接手渡すと、だいたい同じ表情が返ってくる。「うっ、厚っ!」と、目は口ほどにものを言う。
 ああ、と天を仰ぎたくなる。自分にしてみれば、この458頁は、あの矢吹丈がいたバンタム級のボクサー並みに絞り込んだ結果だと思っている。この本を書くにあたって、9年の間に史書、史料、報道などから書き込んだメモの類いは、本の分量をはるかに超える。5倍ではとてもきかない。涙をのんで割愛した場面、エピソード、解説などが、うずたかく積まれている。そんなぜい肉、もとい、こぼれ落ちた物語も、本に盛り込んだ逸話と同じように輝いているのだ。自室の棚に置かれたファイルから、「もし」と呼びかけてくる声が聞こえる気もする。
 これから、こうした断片を巡る小さなお話を、勝手な感想やら歴史的現場の空気やらをまじえながら、少しずつ書きつらねてみたい。時に、「革命」の結果である現代中国にも触れることになるだろう。

 どなたに読んでいただけるか分からないが、最初に一つ、おことわりしておきたい。ここにしるす小さな話の数々は、「史実」とは断言できない。
 
 「覇王と革命」は、エピソードの場面、会話を含め、事実関係のほとんどすべてを史書、史料、報道等の資料に依拠している(「……と笑った」というような人物の表情や心情等については、前後の文脈から解釈・想像を交えて臨場感を出した)。より真実に近いと思われる本線、時代相を正確に映しだすようなエピソード、ジグソーパズルのような複雑な歴史の流れをつなぐ重要なピースをチマナコになって探してきた。生の時代を描くために、後世に分厚く塗られた革命史観的プロパガンダは、無条件でそぎ落とした。
 ただ、「覇王と革命」を、史実だけに基づく厳密な意味での「ノンフィクション」と呼ぶ勇気はない。全体を構成する一つひとつの断片が、厳しい考証・検証を経たものとは言い切れないのだ(そもそも、あまたの事象が、頭を抱えたくなるほど諸説紛々である)。同書「あとがき」には、「発掘された化石から恐竜の姿を復元する作業に近い」と書いた。
 結果として、「覇王と革命」は、群雄たちの物語となった。それはそれでいい、と思っている。中国の史書に接したことのある人なら、誰でも分かるだろう。史記の時代から、中国史とは物語だった。
 
 この場でも、同じようにやりたい。100年ほど前の大陸をぶらぶら歩くくらいのつもりでいる。

(2012年12月30日 杉山祐之)