覇王ときどき革命

中国・軍閥の時代のお話など

「やあ、プルートウ」

小学生のころ、手塚治虫の『鉄腕アトム』が大好きだった。国語の教科書にも、算数のノートにも、教室の黒板にも、家の前の砂浜にも、アトムの顔を描いていた。 数あるお話の中でも、「地上最大のロボット」という回には特に興奮した。ストーリーは、今もはっ…

最も美しい碑

北京の繁華街・王府井の北にある小さな胡同(フートン)で、民家の脇に残る石碑を見せてもらった。人の高さほどもある碑面にびっしりと彫られた古い文章は、自分の語学力では、とても読めない。目で漢字を拾って、お目当ての文字を見つけた。 確かに「法華」…

『張作霖』のこと

北京に来て一年半ほどになる。 自宅から10分ほど歩いた東便門付近に、1キロ余りにわたって明清時代の城壁が残っている。かつて、この一帯には、分厚い壁を風よけのようにして、庶民の小さな家が密集していた記憶がある。2008年北京五輪を前に再開発さ…

彼らの物語

「覇王と革命」を読んでいただいた方から、登場人物の性格付けについて聞かれたことがある。 ちょっと困ってしまった。 群雄の物語を書いたつもりでいる。しかし、歴史小説を書くかのように、一人ひとりの性格を、こちらで何かの型にはめたことはない。史書…

北伐のエース

1927年夏、要衝・徐州で蒋介石の北伐軍を撃破した孫伝芳の大軍が南下、8月25日夜、長江を北から南に渡った。目標は、南京。蒋不在の中、孫軍を迎え撃ったのは、広西軍を率いる李宗仁である。 前日、李宗仁は、軍艦艇に乗って長江を移動中、南京西方で…

宋教仁暗殺

1913年の3月20日夜、国民党の指導者・宋教仁は、見送りの黄興、廖仲愷らとともに、上海駅にいた。宋は、強力な政敵になるであろう臨時大総統・袁世凱が待つ北京に向かおうとしている。 「孫文、黄興など、気にするまでもない。遁初(宋教仁の字)の小…

高原の鷲

華北平原の西端から、大陸は突如天に向かって隆起を始め、巨大な台地群が波のようにうねりながら沙漠へとつながる。地表はパウダーのような黄土に覆われ、その底には石炭層が黒々と広がっている。山西は、そんな黄土高原に位置している。 1924年秋、山西…

白い戦場

泥の濁りがまじった雪原の道路わきから、同じように薄汚れた白い子犬が、じっとこちらを見ていた。二つの目は、黒真珠のごとく濡れて動かない。 厳寒の季節、遼寧省新民市の郊外、巨流河という村を訪れた。付近を流れる遼河は、かつて、村と同じ雄大な名前で…

密偵・呉佩孚

1900年、義和団の乱が、清軍と八か国連合軍との戦争に発展した。天津・大沽砲台にいた26歳の下士官・呉佩孚の戦いについて、伝記はこう記す。 「大隊長以下はみな退却し、一人で砲台を守った。外敵の嘲りに憤り、三発射ち、すべて命中させた」 だが、…

最も暗黒なる一日

1926年4月20日に、段祺瑞が側近らとともに北京を去ったことは、先に書いた。 そのひと月前、3月18日の話をしておきたい。 * * 北京の春は、強風と砂塵の季節である。ただ、その日は曇りで、時折、小雪が舞っていたという。 段祺瑞の執政府は、故…

その手にあるのは、近代

論語や春秋といった四書五経をそらんじ、詩文をよくする。「忠」とか「仁」とかの概念について果てしなく語れる。科挙を勝ち上がるトップエリートもいれば、なぜか竹林に隠れて賢人と呼ばれる者もいる。中国古来の知識人の大雑把なイメージだ。 中国が嵐の中…

北京発最終列車

夕刻が迫る華北平原を、北京発の特別列車が、東に、天津に向けて、ゆっくりと走っている。 1926年4月20日のことだ。列車には、北京を追われた段祺瑞一行が乗っていた。段がこの先、復権することはない。最後の旅で見せた「北洋の虎」の涙は、「覇王と…

獅子の生命

張作霖を父に持つ奉天軍閥の御曹司・張学良は、20世紀初年の1901年に生まれ、21世紀初年の2001年に没した。歴史的意義という点でいえば、その生涯のハイライトは、後に中国大陸を赤く染める共産党を死地から救った1936年12月の西安事件だ…

覇王の揺りかご

成長を競う中国の各地方都市は、巨額のカネが動くプロジェクトをやりたがる。歴史、少数民族、映画、自然など、ご当地の売り物を題材にしたテーマパークは、近年、いたるところにできた。本格派からキテレツランドまで百花繚乱、少々のことでは驚かない。だ…

贄(にえ)の街

死線をくぐりぬけ、運良く生き残った兵士たちの前に、占領したばかりの街が、褒美の贄となって身を横たえている。 半ば焦土になっていても構わない。巻き貝のように門を固く閉ざし、息をこらした商店や民家には、金が、財が、食い物が、酒がある。女が隠れて…

ベストイレブン+1

「覇王と革命」のカバーに、軍閥の時代を代表する11人の名を載せた。時代の扉を開いた袁世凱に始まり、安徽系の段祺瑞・徐樹錚、直隷系の馮国璋・呉佩孚、奉天系の張作霖--と北の三大軍閥が続き、南北間で激しく動いた馮玉祥をはさんで、南の雄が並ぶ。…

日月輝く国

1922年6月16日、孫文が広州から追放された。陳炯明(ちん・けいめい)麾下の軍が、未明から観音山の総統府を砲撃し、圧倒的な兵力をもって、そこの主人である革命家を追い出したのだ。 孫文と陳炯明の路線対立については、「覇王と革命」で書いた。こ…

海の逃亡者

1894年9月17日、日清両国の主力艦隊が黄海で遭遇、火炎と黒煙がたちまち午後の海を覆った。 丁汝昌率いる北洋艦隊の主力戦艦・定遠、鎮遠は、豪雨のごとき砲撃に耐えて反撃した。砲弾を撃ち尽くした巡洋艦・致遠は、日本の巡洋艦・吉野めがけて体当た…

少年と舟

少年は舟を曳いた。 暴れ川の氾濫によって泥田のようになった秋の大地で、いとこと二人、縄で結わえた粗末な舟を曳いた。 正確にいえば、それは舟ではない。一人乗りの木箱、棺だ。自宅近くの平地に置かれていたこの棺は、土饅頭もろとも水に流され、立ち木…

飛べない悟空

古い肖像写真の穏やかな顔は、グレーの色調の中で深い憂いをたたえているように見える。「中国革命の父」と称される孫文だ。その一般的なイメージは、「革命いまだ成功せず」(中国語原文は、「革命尚未成功」)という遺言に見果てぬ夢を託した、高潔、慈愛…

下から迫る者

1913年に国民党軍を一蹴した大総統・袁世凱は、北洋軍内部の一人の軍人を凝視していた。 陸軍総長(陸相)の段祺瑞である。段は、軍の人事権を一手に握っていた。北洋軍高級将官の多くは、かつて軍人教育を担った段の教え子だった。 独裁者は常に、猜疑…

DF李純

静かな敗者がいる。 名を「李純」という。直隷系の首領・馮国璋の腹心で、代理大総統に就任する馮が南京を離れる際、江蘇軍政長官を引き継いだ。 1917~18年の湖南戦争では、南進して全国を統一しようとする段祺瑞の安徽軍を阻止しようとした。広東・…

妄想のレッドクリフ

細い雨の中である。短い坂道を傘をさして登り、その小さな丘から四周を見回すと、緑の木立と古い住宅が交じりあう街の光景があった。 ほんとにここか? そう思えてくる。だが、記念公園の正門の錠を開けてもらって入ったのだから間違いない。目の前には、国…

山犬の正義

1930年代以降、日本軍と戦い、蒋介石と対立し、共産党と協力した馮玉祥(ひょう・ぎょくしょう)は、中国では、「愛国将軍」と評価されている。だが、軍閥混戦期の言動が作り出す馮のイメージは、それとは違う。奉天・直魯連合軍の勇将・李景林の言葉が…

歴史に残る1票

日本が関東大震災に襲われた1923年9月、北京では、直隷系軍閥の総帥・曹錕(そうこん)と、国会議員たちが、大総統ポストを巡って熱い駆け引きを続けていた。曹側は議員に金を配り、見返りに議員は曹を大総統に選ぶ。その条件のすり合わせである。 天津…

革命のシャワー

手元に中国の高校歴史教科書(人民教育出版社)がある。かの国の高校生たちは、自国の軍閥の時代をどのように習っているのだろう。 「覇王と革命」で取り上げた期間は、A4版教科書の3課計8頁にまたがっており、まずは、「第13課 辛亥革命(1911年…

表紙の中の軍神

アメリカのニュース週刊誌「タイム(TIME)」といえば、まずその鮮やかな表紙が思い浮かぶ。赤い額にはめ込まれたような肖像は、アメリカ、世界で注目を集める渦中の人物のものだ。 1923年に創刊されたタイムの表紙に中国人が初めて登場したのは、翌…

「北洋」とは?

北洋軍閥、北洋政府、北洋の虎など、中国軍閥史には、「北洋」という言葉が頻出する。そもそも、「北洋」って、何だろう。2007年6月に南方週末紙に掲載された「『北洋系』はいかにして興ったのか」(雷頤・中国社会科学院近代史研究所研究員)などをも…

「仇討ち女」

「覇王と革命」では、覇王たちが歴史から退場していくさまを折に触れて紹介した。五省連合軍総司令だった孫伝芳は、1935年11月13日午後3時15分、天津の在家仏教徒が集まる居士林で読経中に射殺された。 刺客は、30歳の女。名を「施剣翹(せけん…

紫禁城爆撃

中国の歴史は、地層のごとく分厚い。軍閥の時代、数千年続いた王朝の余熱は大地に生々しく残っており、乱世に生きる民の多くが新しい天子の出現を待っていた。「皇帝」がいつ復活してもおかしくなかった。 「覇王と革命」では、二度の皇帝復活劇を取り上げた…